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棟方志功記念館(青森市)
1月
16日
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今日の朝食はこれだけ。牛乳も納豆も野菜も味噌汁もない。ヘロ。
道の駅浅虫温泉は、雪の捨て場にもなってる。
浅虫温泉から青森市内戻る事30分。NHK青森放送所の隣だ。
高床式を模した建物。1975年に開館。庭園も見応えが有るらしいが、生憎雪の下。
二菩薩釈迦十大弟子 1939年
それぞれ何とも愛らしいお弟子さんだ事。棟方の作品には構図上ピカソとの共通点がある。キュビズムだ。ピカソは棟方の22歳年上だ。どうだろう・・友人いわく「棟方はピカソのゲルニカを見ただろうか?」って。確かに!
「志功三楽屏風」1959年 棟方にとって三つの楽しみを表現した作品だ。すなわち「故郷青森を想うこと」「家族で茶を嗜むこと」「絵を描くこと」だ。鷹は青森の象徴。
「恐山の棚」1963年。
「東北風(やませ)の棚」1969年。う~ん、何の事やら??
「華凸と口凹両神板画柵」・・・何の事やらさっぱり判らん。
「門世の棚」1968年。婦人画に白ごうを加えればたちまち天女様。
「弁財天妃の棚」1965年
「志功三友屏風」の中のひとつ。1959年。今日の1点は、これ! 釈迦が自然界の動物達とお話している図。なんとも穏やかな表情だ事。
「腰越の二人の棚」1973年。棟方は茶=抹茶が大好きだった。同席は配偶者のチヤ。超スピードで彫刻刀や絵筆を走らせ、会話も機関銃の棟方が、どんな雰囲気でお茶を嗜んでいたんだろう。そう思うと、オイラの「暇千家流」もまんざらではないな、ルン。
この倭画でもお茶。
「法華堂井戸碗像図」1970年
「虎参ル」1974年。ひょうきんな虎だこと。ちっとも恐ろしくない。仙厓さんの虎と共通点あるね。どちらもニヤリをほおが緩む。
棟方は「茶人でもない者が茶会を開いたら」と言って「試験茶会」なるものを催した。その時はベートーベンの第九を流したりしたそうな。制作中も興に乗ると、歓喜の歌を口ずさんだ、と言う。展示場中央にはスタインウェイ&サンのピアノがデ~ンと。本人は弾けなかったそうな。
「雑園習作」1928年。この油絵を観た瞬間、アンリ・ルソーを想った。棟方が板画(版画)を始める前は画家を志した。しかしこの様な作品は認めてもらえなかった。で、板画の世界へ。アンリ・ルソーもそうだった。彼らの作品がまだ早過ぎたのかな。晩年に棟方が油絵を描いたら、どうだったのか・・・
「太陽花像図」1972年。・・それがこれだ。どう?若い頃「わだば日本のゴッホになる」とゴッホに憧れた棟方。ここに描いたのはひまわと自画像だ。
青森市内、棟方志功記念館近所
浅虫温泉に戻ります。
2022年1月16日(日)昨日の青森県立美術館で観た棟方志功を「棟方志功記念館。」でも観たくなった。
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海外手配専門(手作り旅行)旅行社勤務していた。本人はとにかく毎週外遊びに夢中。パラグライダー、自転車、ドライブ、スキューバーダイビング、山登り、スキー(ボードは全くダメ)
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