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障がい者活躍フォーラム

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障がい者活躍フォーラム
障がい者活躍フォーラムに参加してきました。

【 障がいのある人が働きやすい会社は、誰にとっても働きやすい職場 】
共生社会の実現に向けた条約や法律、制度は整いつつあります。
でも、それだけでは現場は変わりません。本当に大切なのは、一人ひとりの「意識」と「行動」を変えていくことで、これが本当に大変なんです💦
基調講演で成功事例としてご紹介された沢山の素敵な企業さん。現場レベルでのリアルなお話を聞いてみたい!と思いました 。

パネルディスカッションでは、能登震災直後のニュースにならない現地の様子を知り、能登の人々の静かなな強さ優しさに触れるお話があり胸が熱くなりました 
ここでも「自分にできることは何だろうか」を考えさせられました。
優しい社会のに向けて私に出来る一歩を積み重ねていこう!
 
#これからの共生社会と能登の復興支援 #共生社会 #障がい者活躍フォーラム #障害者雇用

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叔母との思い出

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叔母との思い出
先日、叔母(母の姉)が亡くなりました。
若い頃の加賀まりこに似た、とても美しい人でした。
私が子どもの頃の叔母は、気が強く、いつもイライラ、キリキリしていました。
その姿が怖くて、私は気軽に近寄ることができませんでした。
叔母の口からはいつも誰かの文句や悪口が飛び出し、私はその言葉に傷つきながら、次第に距離を取るようになりました。
「意地悪な人だなぁ 」子ども心にそう感じて、叔母が嫌いでした。
でも、大人になり、心理を学ぶようになって、ふと気づきました。
あの頃の叔母は、どうしようもない状況の中で生きていたのだと。
孤独や重圧に押しつぶされそうになりながら、それでも必死に立ち続けていたのだと、、、

数年前、思い立って叔母に会いに行き、ようやく違う目で叔母を見ることができました。
叔母の言葉に耳を傾けて共感して聴くことができました。
長女として、商売を引き継ぎ、両親と同居を続け面倒を見て、必死に生き抜いた叔母。
誰かに頼ることもできず、幸せを渇望しながらも、人との関わり方を知らなかった叔母。
それは、長女として生きてきた私自身と、重なる部分がいくつもありました。
恋愛体質で、エネルギッシュで、人を振り回し、人を傷つけ、傷つきながら、必死で生きた叔母は、最後は、ひとりぼっちになって逝ってしまいました。

もっと母を連れて、会いに行けばよかったなぁ、、、
今なら、もっといろんな話ができたのに、、、
叔母の人生を聞きたかった。話して、心の荷物を手放し、楽になって、生き直してほしかった。
今となっては、もう叶わないけど、、、
後悔は尽きない 
必死で生き抜いた叔母の人生を思いながら、叔母を思い出し静かに手を合わせて行こうと思います。

かっこちゃん
おつかれさまでした
本当によく頑張ったね
ありがとう  
 
*ブログ再開です!
カウンセラー/コーチとして、日々の出来事や学びのアウトプット等、徒然なるままに書いて行こうと思います。またよろしくお願いします
 

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