10/04/2021 No School Day. 3連休最後の日。 この週末は義両親(&義叔父)の来訪もなく、久しぶりにのんびり自由な時間。 「楓」の花言葉は「大切な思い出」だと知った。 それを見たとき、ああああああああああ、と、腑に落ちた気がして、娘と姪っ子のるぅちゃんに送った。 娘からは「どうした?」、るぅちゃんからは「🍁→🐸!?」と、二人から怪訝に思われたようで、言葉が足りなかったなと反省、 Spitzのタイトルはここからか〜と思った次第。マサムネさん最高〜! と送った。 けど、まだ言葉が足りてない。ので、「花言葉ね」と、送った。 それでも不充分だったかも。ま、いっか。 Spitzの歌に「楓」というのがあって、これはかなり古い楽曲なのだけれど、季節のせいだろう、昨日、犬たちと歩きながらこの歌を口ずさんでいた。→歌詞 さーよーなーらーーーーーーー君の声を 犬たちと歩くのにはちょっとな内容。でも、この、ノスタルジックで儚い感じが今の時季にちょうど良い、とひとりごちる。 この散歩の後に先の「楓」のポストを見つけた。 それで、あああああああああ!と、妙に感激してしまったわけです。 「楓」情報を2人に送った後、さらに「楓」を何度か歌う。 歌詞の中に、 かわるがわるのぞいた穴から 何を見てたかなぁ? というのがある。 楓の歌詞をあらためて検索したとき、「スピッツ 楓 意味」というのが検索バーに出てきたので、ちょっとのぞいてみた。 どなたか、スピッツファンの方なのだろうと思う。スピッツの歌の解釈を色々と書いておられて、その中に「楓」があった。 (きっと、そういうサイトはいくつもあるのだろう) その方は前後の言葉も合わせての解釈をされていた。 ほぉ。。。と思いながら、読んだ。 でもね、わたしの中にはもう既にその情景が出来上がっちゃってて、それは解釈というよりも視覚的なビジョンであり、自分の中にある風景です。 これは最初に聴いた時に出てきたもので、あのときと同じ鮮やかさで今もそれが見えます。 なので、他の方の解釈とされるものを読んで、人によって受け取り方というものはこんなにも違うのか〜、と、あらためて思った。 そしてそれはすごいことで、すばらしいことだ、と、感動してしまった。単純に。 土曜日、「やまなし」の授業で、初読後の感想を聞いた。生徒たちそれぞれがそれぞれの言葉で感想を発表してくれて、予想通りの内容もあれば、そこか!という視点もあり、聞いていてとても楽しかった。 ある生徒が、宮沢賢治はもう死んでしまったから、「クラムボン」が何なのかは分からずじまいで、それが残念だ、というようなことを言った。 クラムボンの正体とは。これは授業でも扱う予定。そのことを伝えながら、こう付け加えた。 「確かに宮沢賢治さんはもう亡くなってしまって、彼に聞くことは出来ません。が、もしまだ生きていたとしても、どうでしょう?」 作者は物語を書く。 読者は物語を読む。 答えはどこにある? 国語のこういうところが面白い。 わからない。 難しい。 おもしろい。