楓
10月
4日
No School Day.
3連休最後の日。
この週末は義両親(&義叔父)の来訪もなく、久しぶりにのんびり自由な時間。
「楓」の花言葉は「大切な思い出」だと知った。
それを見たとき、ああああああああああ、と、腑に落ちた気がして、娘と姪っ子のるぅちゃんに送った。
娘からは「どうした?」、るぅちゃんからは「🍁→🐸!?」と、二人から怪訝に思われたようで、言葉が足りなかったなと反省、
Spitzのタイトルはここからか〜と思った次第。マサムネさん最高〜!
と送った。
けど、まだ言葉が足りてない。ので、「花言葉ね」と、送った。
それでも不充分だったかも。ま、いっか。
Spitzの歌に「楓」というのがあって、これはかなり古い楽曲なのだけれど、季節のせいだろう、昨日、犬たちと歩きながらこの歌を口ずさんでいた。→歌詞
さーよーなーらーーーーーーー君の声を
犬たちと歩くのにはちょっとな内容。でも、この、ノスタルジックで儚い感じが今の時季にちょうど良い、とひとりごちる。
この散歩の後に先の「楓」のポストを見つけた。
それで、あああああああああ!と、妙に感激してしまったわけです。
「楓」情報を2人に送った後、さらに「楓」を何度か歌う。
歌詞の中に、
かわるがわるのぞいた穴から
何を見てたかなぁ?
というのがある。
楓の歌詞をあらためて検索したとき、「スピッツ 楓 意味」というのが検索バーに出てきたので、ちょっとのぞいてみた。
どなたか、スピッツファンの方なのだろうと思う。スピッツの歌の解釈を色々と書いておられて、その中に「楓」があった。
(きっと、そういうサイトはいくつもあるのだろう)
その方は前後の言葉も合わせての解釈をされていた。
ほぉ。。。と思いながら、読んだ。
でもね、わたしの中にはもう既にその情景が出来上がっちゃってて、それは解釈というよりも視覚的なビジョンであり、自分の中にある風景です。
これは最初に聴いた時に出てきたもので、あのときと同じ鮮やかさで今もそれが見えます。
なので、他の方の解釈とされるものを読んで、人によって受け取り方というものはこんなにも違うのか〜、と、あらためて思った。
そしてそれはすごいことで、すばらしいことだ、と、感動してしまった。単純に。
土曜日、「やまなし」の授業で、初読後の感想を聞いた。生徒たちそれぞれがそれぞれの言葉で感想を発表してくれて、予想通りの内容もあれば、そこか!という視点もあり、聞いていてとても楽しかった。
ある生徒が、宮沢賢治はもう死んでしまったから、「クラムボン」が何なのかは分からずじまいで、それが残念だ、というようなことを言った。
クラムボンの正体とは。これは授業でも扱う予定。そのことを伝えながら、こう付け加えた。
「確かに宮沢賢治さんはもう亡くなってしまって、彼に聞くことは出来ません。が、もしまだ生きていたとしても、どうでしょう?」
作者は物語を書く。
読者は物語を読む。
答えはどこにある?
国語のこういうところが面白い。
わからない。
難しい。
おもしろい。