09/28/2021 補修校の授業、来週からいよいよ「 やまなし」に入る。 言わずもがな、宮沢賢治の「やまなし」。 いつから国語の教科書に載ったのかわからないけれど(わたしの時代にはなかったと思う)、姪っ子のるぅちゃんはクラムボンと聞いて、「懐かしい〜〜〜〜やまなし〜〜〜〜」と言っていた。彼女の時代には既に存在していたようだ。 「やまなし」には、資料として「イーハトーヴの夢」という畑山博氏による宮沢賢治の伝記が付いている。「やまなし」を理解する(?)上で参考になるというもので、確かにそうだろうとは思う。 が、これが長い。 普通に日本で暮らしている小6レベルであれば難なく読めるものなのだろうけれど、長く異国の地(日本語環境にない地)で暮らす生徒にとっては、ハードルがかなり高い。 というわけで、「やまなし」「イーハトーヴの夢」の音読を3週間前くらいから、同時に「イーハトーヴの夢」については、保護者に向けて、「場合によっては読み聞かせをしてください」とお願いしておいた。それが成されているかどうかは、さておいて。 読み聞かせ。 これ、どうなんだろうね? 娘が小さい頃は、良く読み聞かせをした。絵本などは早いうちに暗唱してしまって、それはそれで一緒に読んだりして楽しかったが、彼女がお願いするのは、分厚くて長い(彼女にはちょっと難しい)内容の物語が多かった。 挿絵がちょっとしかないような、そういうやつ。 中でも1番のお気に入りは「オズの魔法使い」だった。 わたしは、登場人物それぞれの声音を変えて、一人芝居さながらに読み聞かせをしたものだ。 サービス精神旺盛。 時々、あれ?どんな声だったっけ?と、キャラクターがごっちゃになったりしたものだが、娘はいつも大喜びで聞いていた。 読み聞かせって、いつ頃までするものなんだろうか? 「オズの魔法使い」を読み聞かせしていたのは、彼女がまだ小学校に上がる前(まだ日本に住んでいた)だった。 この国に来てからも、日本語教育の要素もあって、読み聞かせをしたものだが、だんだん頻度が減ってしまった。 彼女が小さい頃は、英語の絵本も(平気で)読み聞かせしていたが、彼女の英語力が上達すると同時に、だんだん、わたしの英語よりも自分で読んでよ、という気持ちになって、逆に彼女に読んでもらったりした。 中学になる頃は、彼女はそれなりに日本語の読み書きが出来るようになって(一時的に日本に住んで日本の中学に通ったのが大きかった)、学校の勉強で読むものも多くなって、いつしか物語を読み聞かせるなんてことはなくなった。 でも、たまーに(台風の時とか?)、「オズの魔法使い読んでよ」と言われて、こちらもそれなりに歳を重ねていたし、照れ臭いのもあって普通に読むと、「いやいや、ちゃんと役になってよ前みたいに」と催促された。 覚えていたのか!!とちょびっと驚き、忘れるわけないよね、と、自画自賛する馬鹿母。 何が言いたいのかと言うと。 小6クラスの親に「読み聞かせ」をお願いしたことを、今になってトンチンカンだったかなと思ったりした次第。 しかも伝記だし。 かと言って、授業(しかもオンライン授業よ)で講師が範読出来る時間は短い。 どちらかと言うと、「やまなし」を読んであげたいかも。 わたしは子供が苦手なのだけれど、絵本とか本を前に読み聞かせをしている間は、かなり良い意味でちゃんとつながっていたような気がするなぁ・・・と、今更ながらに思う。