読み聞かせ
9月
29日
補修校の授業、来週からいよいよ「 やまなし」に入る。
言わずもがな、宮沢賢治の「やまなし」。
いつから国語の教科書に載ったのかわからないけれど(わたしの時代にはなかったと思う)、姪っ子のるぅちゃんはクラムボンと聞いて、「懐かしい〜〜〜〜やまなし〜〜〜〜」と言っていた。彼女の時代には既に存在していたようだ。
「やまなし」には、資料として「イーハトーヴの夢」という畑山博氏による宮沢賢治の伝記が付いている。「やまなし」を理解する(?)上で参考になるというもので、確かにそうだろうとは思う。
が、これが長い。
普通に日本で暮らしている小6レベルであれば難なく読めるものなのだろうけれど、長く異国の地(日本語環境にない地)で暮らす生徒にとっては、ハードルがかなり高い。
というわけで、「やまなし」「イーハトーヴの夢」の音読を3週間前くらいから、同時に「イーハトーヴの夢」については、保護者に向けて、「場合によっては読み聞かせをしてください」とお願いしておいた。それが成されているかどうかは、さておいて。
読み聞かせ。
これ、どうなんだろうね?
娘が小さい頃は、良く読み聞かせをした。絵本などは早いうちに暗唱してしまって、それはそれで一緒に読んだりして楽しかったが、彼女がお願いするのは、分厚くて長い(彼女にはちょっと難しい)内容の物語が多かった。
挿絵がちょっとしかないような、そういうやつ。
中でも1番のお気に入りは「オズの魔法使い」だった。
わたしは、登場人物それぞれの声音を変えて、一人芝居さながらに読み聞かせをしたものだ。
サービス精神旺盛。
時々、あれ?どんな声だったっけ?と、キャラクターがごっちゃになったりしたものだが、娘はいつも大喜びで聞いていた。
読み聞かせって、いつ頃までするものなんだろうか?
「オズの魔法使い」を読み聞かせしていたのは、彼女がまだ小学校に上がる前(まだ日本に住んでいた)だった。
この国に来てからも、日本語教育の要素もあって、読み聞かせをしたものだが、だんだん頻度が減ってしまった。
彼女が小さい頃は、英語の絵本も(平気で)読み聞かせしていたが、彼女の英語力が上達すると同時に、だんだん、わたしの英語よりも自分で読んでよ、という気持ちになって、逆に彼女に読んでもらったりした。
中学になる頃は、彼女はそれなりに日本語の読み書きが出来るようになって(一時的に日本に住んで日本の中学に通ったのが大きかった)、学校の勉強で読むものも多くなって、いつしか物語を読み聞かせるなんてことはなくなった。
でも、たまーに(台風の時とか?)、「オズの魔法使い読んでよ」と言われて、こちらもそれなりに歳を重ねていたし、照れ臭いのもあって普通に読むと、「いやいや、ちゃんと役になってよ前みたいに」と催促された。
覚えていたのか!!とちょびっと驚き、忘れるわけないよね、と、自画自賛する馬鹿母。
何が言いたいのかと言うと。
小6クラスの親に「読み聞かせ」をお願いしたことを、今になってトンチンカンだったかなと思ったりした次第。
しかも伝記だし。
かと言って、授業(しかもオンライン授業よ)で講師が範読出来る時間は短い。
どちらかと言うと、「やまなし」を読んであげたいかも。
わたしは子供が苦手なのだけれど、絵本とか本を前に読み聞かせをしている間は、かなり良い意味でちゃんとつながっていたような気がするなぁ・・・と、今更ながらに思う。