07/25/2020 またまた辻仁成氏の滞仏日記から。 詳細は省くが、読んでいて思いきり頷く。 わーかーるーーーー!! 泣きたいくらいによくわかる。 息子くんが言い放った言葉、昔々、似たようなことを娘に言われた。親のこと、なんと思ってんだ!!と、キレかけた(いや、キレたかも)。 ーマミィその意味わかってるの? ー自分でしなよ。 ーわたしに頼るのやめてほしい。 あー他にも沢山ある。あった。 逆にわたしが娘に「その言いかた、おかしいよ。」と彼女の日本語を指摘すると、 ーひどいよ、そんな意地の悪い言いかた。 とか怒られた。教えてるだけだよ、と言うと「教えてくれなくたっていい!」とかも言われた。 ー傷付くんだよ! わかってますよ。わたしだってあなたの言葉に何度も傷ついてるんだから。 あ、急に思い出した。 ずっとずっと前の話。 わたしが言ったある単語に、夫と娘がふたりして ふふふ、 と笑い合ったのだ。 ー何?何がおかしい!? ーいや、なんでもないよ。 ー今、笑ったよね?ふたりして笑ったよね?何がおかしいの!! 理由はわたしの発音だった。わたしの発音だと、違う単語になるのだ。そのあと夫は ー僕にはわかったから大丈夫だよ。 と、慰め(?)の言葉をくれた。じゃぁ笑うなよ!と、思った。 ふたりしてわたしを笑い者にしやがって、と傷ついた。 でも、真面目な話、わたしが知る限り多くのアメ人は発音に無頓着かもしれない。 アクセントの強い英語を使う人はいくらでもいるし、そういう国だからなのかも。 だから、自分の英語に自信がなくてもとにかく言葉を「発する」ことだ。なんとか通じるし、そのほうが英語も上達する。 話が逸れた。 今でこそ、彼女は言葉を選んでくれるし、時に「あなた、英語上手くなったね」とかも言ってくれる(驚)。 でも、わたしはわかっている。 第二言語はどこまでいっても第二言語でしかない。母語にはならないのです。 もちろん娘もそれをわかっている。 そして歳を重ねるにつれ、そのことに優しくなってきたのだと思う。 多分、彼女自身、日本に就職してあらためて日本語と格闘して、わたしの気持ちもわかったのかもしれない。 彼女にとっての日本語は母語でもあり第二言語でもあり、英語もまた、母語であって第二言語でもある。 昔、娘がよく言っていた。 ーバイリンガルなんて言うと聞こえは良いかもしれないけど、わたしにとってはどっちも母語じゃないってことなんだよ。 彼女もまた彼女なりに苦悩があったのだろう。 ちなみにわたしはもう英語はどん詰まり。もうこれ以上の上達はないだろう。というか、上達するために勉強したいという気持ちもない。 何度も書いたと思うが、自分は英語よりも島口のほうを勉強したい。 流暢な、本物の島ユムタで喋れるようになりたい。そのために勉強するツールがあるのなら、お金を払ってでも勉強したい。 でも島ユムタはシマ(集落)毎に微妙に違うので、やはり留学して本場の島ユムタにどっぷり浸かるしかない〜。 定年後に留学するか、定年まで待たずにするか。脳がやわらかなうちが良いに決まってはいるが。