第二言語はどこまでも2番手
7月
26日
またまた辻仁成氏の滞仏日記から。
詳細は省くが、読んでいて思いきり頷く。
わーかーるーーーー!!
泣きたいくらいによくわかる。
息子くんが言い放った言葉、昔々、似たようなことを娘に言われた。親のこと、なんと思ってんだ!!と、キレかけた(いや、キレたかも)。
ーマミィその意味わかってるの?
ー自分でしなよ。
ーわたしに頼るのやめてほしい。
あー他にも沢山ある。あった。
逆にわたしが娘に「その言いかた、おかしいよ。」と彼女の日本語を指摘すると、
ーひどいよ、そんな意地の悪い言いかた。
とか怒られた。教えてるだけだよ、と言うと「教えてくれなくたっていい!」とかも言われた。
ー傷付くんだよ!
わかってますよ。わたしだってあなたの言葉に何度も傷ついてるんだから。
あ、急に思い出した。
ずっとずっと前の話。
わたしが言ったある単語に、夫と娘がふたりして ふふふ、 と笑い合ったのだ。
ー何?何がおかしい!?
ーいや、なんでもないよ。
ー今、笑ったよね?ふたりして笑ったよね?何がおかしいの!!
理由はわたしの発音だった。わたしの発音だと、違う単語になるのだ。そのあと夫は
ー僕にはわかったから大丈夫だよ。
と、慰め(?)の言葉をくれた。じゃぁ笑うなよ!と、思った。
ふたりしてわたしを笑い者にし
でも、真面目な話、わたしが知る限り多くのアメ人は発音に無頓着かもしれない。
アクセントの強い英語を使う人はいくらでもいるし、そういう国だからなのかも。
だから、自分の英語に自信がなくてもとにかく言葉を「発する」ことだ。なんとか通じるし、そのほうが英語も上達する。
話が逸れた。
今でこそ、彼女は言葉を選んでくれるし、時に「あなた、英語上手くなったね」とかも言ってくれる(驚)。
でも、わたしはわかっている。
第二言語はどこまでいっても第二言語でしかない。母語にはならないのです。
もちろん娘もそれをわかっている。
そして歳を重ねるにつれ、そのことに優しくなってきたのだと思う。
多分、彼女自身、日本に就職してあらためて日本語と格闘して、わたしの気持ちもわかったのかもしれない。
彼女にとっての日本語は母語でもあり第二言語でもあり、英語もまた、母語であって第二言語でもある。
昔、娘がよく言っていた。
ーバイリンガルなんて言うと聞こえは良いかもしれないけど、わたしにとってはどっちも母語じゃないってことなんだよ。
彼女もまた彼女なりに苦悩があったのだろう。
ちなみにわたしはもう英語はどん詰まり。もうこれ以上の上達はないだろう。というか、上達するために勉強したいという気持ちもない。
何度も書いたと思うが、自分は英語よりも島口のほうを勉強したい。
流暢な、本物の島ユムタで喋れるようになりたい。そのために勉強するツールがあるのなら、お金を払ってでも勉強したい。
でも島ユムタはシマ(集落)毎に微妙に違うので、やはり留学して本場の島ユムタにどっぷり浸かるしかない〜。
定年後に留学するか、定年まで待たずにするか。脳がやわらかなうちが良いに決まってはいるが。