さてさて、なんでもないだろう一日が始まった。よっしゃ行くぞ、図書館に。そんなに気合を入れなくても良いのだが、気合いを抜くと半日はすぐに過ぎてしまう。先週はダラダラしてしまって、後で自分の溜息に気分が悪くなってしまったから。 昼過ぎ、今日の図書館は閑散気味だ。春の太陽が燦々、世間は観光にでも行っているのだろうか。私は視界の五割が空という開放感のある自由席に座る。ああ、なんとラッキーなんだ。私にとってはポイントの高い幸せだ。 そして、いつものことだが直ぐに本は読まない。まず、詩をひとつ書く。が、今日は思考を変えて詩の題材をタブレットで検索する。「詩集 人気」でクイック。売れている詩集のランキングが掲載されているようだ。そこを閲覧。 なぬなぬ、一位は『あたりまえポエム』とかいう詩集だった。「なか見!」機能で閲覧。ほうほう、ほんとうにあたりまえのポエム? になっている。「あたりまえ」の力で癒されようとかいう趣旨の詩集らしい。これまた著作権が絡んでくるので、私が掲載されている作品に似せたものを考えよう。 今日がないと明日はないよね ひとりでいるといつもひとりぼっち 知らないひとに誰? って言われた 星って星形じゃないよね 水は透明だけど見えるんだっ まあ、こんな感じの言葉が綴られているようだ。私もこの本を読んだわけではないので、的はずれだったらゴメンって感じで。世間は病んでいるのか、言葉遊びを楽しみたいのか、妙な詩集?! が売れているもんだ。 ではでは、本を探しに行こうと思うが何か書きたい。 詩か、いや小説がなんだか書きたい。と思い今、この訳のわからない散文というか、小説というか、そんなもんを書いている。そこで、ひとつ。 「詩と小説の大きな違いはなんだろう?」 詩を書くのも小説を書くのも自分。違いは表現方法。そこにも一定の決まりごとなどないから、また面倒な話だ。しかし、そんな境界線を無くしてしまえば解決だ。いや、そうはいかない。物語を読みたい時にコテコテの詩が書かれていたのなら、それはそれで面倒なことになってしまう。難しい定義だ。難しいこと、今は考えたくない。それが休日の過ごし方だ。んっ、そこは納得。逃げっ。。。 そして、逃げた先は公園のベンチだ。雲がかかり、風が木々の枝を揺らし、この小説を書く環境には厳しい状況になってきた。ああ、タブレットの画面には雨がポツン、ポツン。雨粒の表面が明かりによって虹の色が出ている。しかし、雨上がりの虹ではない、これから来るぞっ、って感じだ。さあ、家に逃げろっ。 こんなところで、この小説は〆だ! さいなら。。。
そんな褒め言葉がある時代 やはり個性的な表現に 人々は魅了されるのだろう そこから力をもらったりする 人と比較して 世間と比較する それは社会でのお話し でも 自分のヤバい可能性を信じる それが大切なのかもしれない ところで 何が大切なのか 君はそう問いかけてくるかもしれない それは意外と簡単なことだったりする ナチュラルさ 深淵へのダイビングする勇気は 君が持つ自然の追求 余計なモノをとり除ければ らしさの充実は真実を見せてくれる そして 微笑むためだ たいした理由はないのさ 花が咲くように ニッコリすればそれで良い
夜に咲く花は 俯きながら 眠ってしまった 咲く意味を 考え過ぎては 疲れたのだろう 夜に咲く花は 眼を閉じず 眠ってしまった 話し掛けても 言葉なき物語の中で 孤独を見つめ 夜に咲く花は 心を置いて 眠ってしまった 固まったカラダ 其処にいるようで 何処にもいない