「宮中歌会始と両陛下からのご下問」
新春恒例の宮中行事「歌会始の儀」が今年も行われ、2万人を超える応募の中から厳しい選考の末に10人の一般入選者の歌が詠まれました。その一つが、”母国語の異なる子らよ母われに時にのみ込む言葉もあるを”。
この短歌はカリフォルニア在住のエッセイスト、鈴木敦子氏が詠まれたもので、全米でも短歌人口の多いカリフォルニアからは22年ぶりの預選者となりました。
その鈴木敦子氏を講師にお迎えし、歌会始めとはどんなものなのか、また天皇・皇后両陛下からどんなお言葉を賜ったのか、また、短歌の魅力や歌会始めに選ばれる栄誉を手にするまでの研鑽なども交えて楽しくお話いただきました。
鈴木敦子(すずき あつこ)氏プロフィール :
胡桃短歌会主宰、 羅府新報、日本の雑誌などへの寄稿多数。
東京都杉並区出身、幼少時から、子煩悩な父にふんだんに本を与えられ、
読書好きな少女として成長していく。
女子学習院高等学校・国文科在学中、歌人で国文学者の尾上柴舟(おのえ さいしゅう)から国文学と書の教えを受けた母から多大な影響を受ける。
1967年渡米。子育ての後、雑誌の編集記者として働く。
通信LA支局退職後、短歌の勉強を始める。 1993年から羅府新報「木曜随想」のレギュラー執筆者となる。
これをまとめたものを「かけがえのない感動」として出版。 同年、短歌の勉強会を三人で始め、現在の「胡桃短歌会」に育て上げた。
*******************************************
短歌との出会いは、小学生の頃。
お正月に百人一首を家族で楽しむのが常でした。
百人一首を使ったかるた取りに飽きることなく取り組みました。
もの言わぬ花の花にはあれどもの言ふにまさる心をくみ取り給へ
と、高松宮喜久子妃殿下が経団連会長も務められた石坂泰三氏に短歌を贈られ、
この短歌に対して、
もの言わぬ花の花を汲みかねて老いの闇路に迷いし我かな
と、石坂氏は返歌されました。
良い歌とはなんでしょうか?
よく選んだ言葉で自分の言葉を歌い込む。
いい歌をたくさん読むことが上達への道。
私も様々な歌を読み、大学ノート3つになりました。そして、それを何度も読み返し、最初のノートは綴ってある糸がほつれてしまうほどになっています。
これら日々の努力が私を歌会始めに連れて行ってくれたんだと思います。
1月12日の歌会始めに参加することが決まり、
米国から招待を受けての参加となりました。
宮内庁から送られてきたfaxには、作品が未発表であることの確認などでした。
32年間に7回詠進し、今年初めて選ばれました。
例年、お題として漢字一字が指定され、歌の中にこの字が入ることが条件。
応募方法は基本的に毛筆で自筆し郵送するが、ワープロ・パソコンでのプリント、点字での応募も可。応募された詠進歌の中から選者が10作を選出する。選出された歌は「選歌」として、官報の皇室事項欄及び新聞等にも掲載される。
2018年のお題は「語」でした。
母国語の異なる子らよ母われに時にのみ込む言葉もあると 鈴木敦子
松の間、年齢順に着席。
天皇皇后がお出ましになり、歴代最年少の十二歳で三人目の入選者となった長崎県佐世保市の中学一年中島由優樹さんの短歌から披講(歌を詠み上げること)が始まります。
披講所役は、司会にあたる読師(どくじ)、最初に節を付けずに全ての句を読み上げる講師(こうじ)、講師に続いて第1句から節を付けて吟誦する発声、第2句以下を発声に合わせて吟誦する四人の講頌からなります。
そして、十人目にアメリカ合州国と鈴木の敦子と呼称され、選ばれた短歌、
「母国語の異なる子らよ母われに時にのみ込む言葉もあると」が詠みあげられました。
米国で四人の子供を育てあげました。
英語を使って仕事をするうちに日本語の繊細さを改めて感じていました。
子育てをしながら、日本語を母国語としない子供達に微妙なニュアンスが伝わっていないもどかしさを感じていました。
儀式の最後には天皇陛下の歌が3回読まれ、終了。
そして、両陛下が今回の10名の歌人に御下問されました。
私は陛下とお話ができると聞いておりましたので、祖母のことを伝えようと思っていたのですが、陛下からはカリフォルニアはどのあたりですか?とまずお言葉があり、私の頭の中のスイッチが切り替わり、陛下に東の方ですとお答えしてから、皇后陛下に「移り住む国の民とし老いたまふ君らが歌ふさくらさくらと」
という、平成6年6月、両陛下が日系引退者ホームをご訪問の折に詠まれた歌を披露しました。それに皇后陛下は「まぁよく覚えていてくださって」と、とても驚かれていました。
また私は続けて「かの時にわが取らざりし分去(わかさ)れの片への道はいづこ行けけむ」という皇后陛下の歌を披露し、皇后陛下はまた「まぁよく覚えていてくださって」ととても喜ばれていました。
その後、泉の間で、飛騨春慶塗の木箱が贈与されました。
水引はグレート白の水引で、一般の水引とは異なるものでした。
選者のお一人、永田 和宏氏から、「海外からは以前はブラジルから多く寄せられていたそうです。でも、皆さん高齢になり、そんな折に鈴木さんが浮上してきた」とおっしゃっていました。
「あっちゃん、来年も出しなさいよ。来年は光よ!」と、
私の姉はいつも私の背中を押し続けています。
その国に住んでいるものしか詠めない歌というものがあります。ここ米国加州には最も多くの短歌人口があります。以前は発表する場である日系新聞や雑誌も多くあったのですが、今はその数も減っていますが、私は日系誌は大切な宝だと思っています。
2018年の選者
【篠弘さん】 【三枝昴之さん】 【永田和宏さん】 【今野寿美さん】 【内藤明さん】
短歌は勉強するものです。
これからも多くの短歌をいくつも繰り返し読み続け、私の想いを短歌に込めることに、これからも励んでいきます。
鈴木敦子(すずき あつこ)氏プロフィール :
胡桃短歌会主宰、 羅府新報、日本の雑誌などへの寄稿多数。
東京都杉並区出身、幼少時から、子煩悩な父にふんだんに本を与えられ、
読書好きな少女として成長していく。
女子学習院高等学校・国文科在学中、歌人で国文学者の尾上柴舟(おのえ さいしゅう)から国文学と書の教えを受けた母から多大な影響を受ける。
1967年渡米。子育ての後、雑誌の編集記者として働く。
通信LA支局退職後、短歌の勉強を始める。 1993年から羅府新報「木曜随想」のレギュラー執筆者となる。
これをまとめたものを「かけがえのない感動」として出版。 同年、短歌の勉強会を三人で始め、現在の「胡桃短歌会」に育て上げた。
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短歌との出会いは、小学生の頃。
お正月に百人一首を家族で楽しむのが常でした。
百人一首を使ったかるた取りに飽きることなく取り組みました。
もの言わぬ花の花にはあれどもの言ふにまさる心をくみ取り給へ
と、高松宮喜久子妃殿下が経団連会長も務められた石坂泰三氏に短歌を贈られ、
この短歌に対して、
もの言わぬ花の花を汲みかねて老いの闇路に迷いし我かな
と、石坂氏は返歌されました。
良い歌とはなんでしょうか?
よく選んだ言葉で自分の言葉を歌い込む。
いい歌をたくさん読むことが上達への道。
私も様々な歌を読み、大学ノート3つになりました。そして、それを何度も読み返し、最初のノートは綴ってある糸がほつれてしまうほどになっています。
これら日々の努力が私を歌会始めに連れて行ってくれたんだと思います。
1月12日の歌会始めに参加することが決まり、
米国から招待を受けての参加となりました。
宮内庁から送られてきたfaxには、作品が未発表であることの確認などでした。
32年間に7回詠進し、今年初めて選ばれました。
例年、お題として漢字一字が指定され、歌の中にこの字が入ることが条件。
応募方法は基本的に毛筆で自筆し郵送するが、ワープロ・パソコンでのプリント、点字での応募も可。応募された詠進歌の中から選者が10作を選出する。選出された歌は「選歌」として、官報の皇室事項欄及び新聞等にも掲載される。
2018年のお題は「語」でした。
母国語の異なる子らよ母われに時にのみ込む言葉もあると 鈴木敦子
松の間、年齢順に着席。
天皇皇后がお出ましになり、歴代最年少の十二歳で三人目の入選者となった長崎県佐世保市の中学一年中島由優樹さんの短歌から披講(歌を詠み上げること)が始まります。
披講所役は、司会にあたる読師(どくじ)、最初に節を付けずに全ての句を読み上げる講師(こうじ)、講師に続いて第1句から節を付けて吟誦する発声、第2句以下を発声に合わせて吟誦する四人の講頌からなります。
そして、十人目にアメリカ合州国と鈴木の敦子と呼称され、選ばれた短歌、
「母国語の異なる子らよ母われに時にのみ込む言葉もあると」が詠みあげられました。
米国で四人の子供を育てあげました。
英語を使って仕事をするうちに日本語の繊細さを改めて感じていました。
子育てをしながら、日本語を母国語としない子供達に微妙なニュアンスが伝わっていないもどかしさを感じていました。
儀式の最後には天皇陛下の歌が3回読まれ、終了。
そして、両陛下が今回の10名の歌人に御下問されました。
私は陛下とお話ができると聞いておりましたので、祖母のことを伝えようと思っていたのですが、陛下からはカリフォルニアはどのあたりですか?とまずお言葉があり、私の頭の中のスイッチが切り替わり、陛下に東の方ですとお答えしてから、皇后陛下に「移り住む国の民とし老いたまふ君らが歌ふさくらさくらと」
という、平成6年6月、両陛下が日系引退者ホームをご訪問の折に詠まれた歌を披露しました。それに皇后陛下は「まぁよく覚えていてくださって」と、とても驚かれていました。
また私は続けて「かの時にわが取らざりし分去(わかさ)れの片への道はいづこ行けけむ」という皇后陛下の歌を披露し、皇后陛下はまた「まぁよく覚えていてくださって」ととても喜ばれていました。
その後、泉の間で、飛騨春慶塗の木箱が贈与されました。
水引はグレート白の水引で、一般の水引とは異なるものでした。
選者のお一人、永田 和宏氏から、「海外からは以前はブラジルから多く寄せられていたそうです。でも、皆さん高齢になり、そんな折に鈴木さんが浮上してきた」とおっしゃっていました。
「あっちゃん、来年も出しなさいよ。来年は光よ!」と、
私の姉はいつも私の背中を押し続けています。
その国に住んでいるものしか詠めない歌というものがあります。ここ米国加州には最も多くの短歌人口があります。以前は発表する場である日系新聞や雑誌も多くあったのですが、今はその数も減っていますが、私は日系誌は大切な宝だと思っています。
2018年の選者
【篠弘さん】 【三枝昴之さん】 【永田和宏さん】 【今野寿美さん】 【内藤明さん】
短歌は勉強するものです。
これからも多くの短歌をいくつも繰り返し読み続け、私の想いを短歌に込めることに、これからも励んでいきます。