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サウスベイ マネジメント セミナー( Southbay management seminar )は月一回のセミナーを中心に勉強し、時々に親睦をする、乃ち「よく学び、よく交友する」そのような会です。

2009年度 7月 - Mr. KBのメジャーリーグ肩入れ情報

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2009年度 7月 - Mr.... 2009年度 7月 - Mr....
日時
2009年7月8日(水)、6:30PM - 8:30PM
会場
ニューガーディナ・ホテル
講師:Mr.KBこと、盆小原 浩二(ぼんこはらこうじ)氏

講師略歴

1953年3月:島根県浜田市生まれ
1971年3月:島根県立浜田高校卒業
1975年3月:関西学院大学卒業
1981年7月:渡 米
1995年4月:ロサンゼルス日系ラジオ局RPJにてスポーツ担当
2007年1月:インターネットラジオ「Mr. KBのアメリカンスポーツ」開始 www.kmwinds.com 
2008年4月:BSS山陰放送ラジオ毎週土曜日放送「土曜亭!ラジオDON」のコーナー「Mr.KBのアメリカンスポーツfrom LA」に生出演開始
2008年8月:ロサンゼルス日系ラジオ局TJS毎週火曜日放送「生チュー」のコーナー「Mr.KBのアメリカンスポーツ」に生出演開始
講 師 紹 介 者:梅田 義元氏
講 演 録 担 当:河合 将介

講演内容

【Ⅰ】講演のはじめに ――― 講師と野球(メジャー・リーグ)とのかかわり
1、 自分は幼少の頃から野球に興味を持ち、当時は野球選手名鑑を切り抜き、野球ゲームを作ってしたり、選手名から漢字を覚えたり、また、外では竹バットに軟式ボールの野球に興じる野球少年だった。
2、 当時(1963年)はじめて手にした「週刊ベースボール」誌に掲載されていたメジャー・リーグに関する記事は自分にとってたいへん新鮮で、メジャー・リーグを観たいと夢見るようになった。
3、 大学4年生の夏、ロサンゼルスへきてドジャースタジアムに初めて訪れ、野球とベースボールの違いに感動した。そしてチャンスがあればメジャー・リーグをとことん追求したく思うようになった。
4、 1975年にハウス食品に就職、同社がアメリカ進出することになり、1981年7月、メジャー・リーグがストライキの最中だったロサンゼルスに赴任した。
5、 現在はスポーツ・キャスターとして活躍している一方、日本の山陰放送ラジオで現地時間の毎週土曜日の朝スポーツを始めとするアメリカの話題についてレポートしたり、当地のTJSラジオでも毎週火曜日午前10時半からの番組「生チュウ」でもスポーツに関する話題で話をしている。

【Ⅱ】1980年代からの、ドジャース栄光の記録
1、 1980年代のドジャースは強かった。自分が来米した1981年は、メジャー・リーグがストライキを行ったため、異例のシーズンだった。この年は8月のオールスター戦を境に2期に分けることになり、前期(開幕からストまで)の1位のドジャースが優勝ということになり、ナ・リーグ年間優勝も達成し、ワールド・シリーズに進出、ア・リーグのヤンキースと対戦した。
初戦、第2戦はヤンキースに連敗。しかし、地元に戻ってからのドジャースはフェルナンド・バレンズエラもローテーションに戻り三連勝、さらにニューヨークに移動した第6戦も大勝しワールド・シリーズを制した。自分が来米したその年にドジャースが優勝したのだから大感激だった。(1903年に始まったワールド・シリーズでヤンキースは39回出て26回優勝、ドジャース18回出て6回優勝した)
2、 1983年、85年のドジャースも強かったが、残念ながらフィリーズ、カージナルスに及ばず、ワールド・シリーズに進出できなかった。
3、 1986年(西地区5位)、87年(同4位)はドジャースにとって厳しい年だった。
4、 1988年、新たに補強をしたドジャースは遂にナ・リーグ東地区の覇者メッツを破り7年ぶりにワールド・シリーズに進出、ア・リーグのオークランド・アスレチックスと対戦した。
ドジャー・スタジアムでの第1戦、相手のホセ・カンセコの満塁本塁打により9回裏まで3-4でリードされていたドジャース、膝の故障などで満足に歩くこともままならず、ワールドシリーズの出場は絶望視されていたカーク・ギブソン選手が見事、逆転、サヨナラ・2点本塁打を打ち、ドジャースに奇跡の勝利をもたらした。このシーンはMLB史上に残る劇的なシーンとなった。
第2戦もドジャースが勝ち2勝。第3戦はマーク・マグワイア(アスレチックス)の本塁打などで敗れたが、第4戦、第5戦とドジャースが勝ち、ドジャースが優勝した。このときの優勝勝因は当然、上記カーク・ギブソン選手他の活躍によるものだが、その他の要因としてドジャースの投手陣(オーレル・ハーシハイザーほか)が相手(アスレチックス)の3番、4番打者であったホセ・カンセコ、マーク・マグワイアの2主力打者に対し、シリーズを通して各1本のヒット(尤もどちらも本塁打だったが)しか与えず完璧に抑えたこともある。
5、 あれから21年が経過した。今年こそとドジャースに期待したい。

【Ⅲ】日本選手のMLBでの活躍
 1、 自分は20数年前からドジャースタジアムのシーズン・チケットを毎年購入しているが、当初は友人を招待しても喜んでくれる人は多くなかった。ところが、1995年、RPJ(ラジオパシフィック・ジャパン)の水野社長からラジオでスポーツの話をしてくれないかとの依頼があった。その年に日本から野茂投手が来たからだ。それ以降、急に友人たちが「MLBのチケットが欲しい」と言い出した。
2、 日本人のメジャーリーグ選手として1964年65年に村上雅則投手がいたが、野茂選手は30年ぶりの選手だった。彼は来米当初、ドジャースで5番目の先発投手の位置付けで、決してエース扱いではなかった。そのシーズンも5月になって、ようやく登板させてもらった程度だった。そして野茂投手が登板すると日本から多くの取材カメラが並んだが、ホンネは「我が子の学芸会で失敗しないか心配でたまらない」といった状況だった。ところが野茂はオールスターにも選ばれたことは快挙だ。
3、 以降、今日に至るまで38人の日本人選手が野茂に続いてメジャー・リーガーになっている。(佐々木、伊良部、長谷川、新庄、・・・と続く)
4、 野茂投手とともに、この中で長谷川滋利投手の頑張りもたいへん良かった。長谷川選手程度の投手は日本でもかなりおり、「それならオレも・・」と日本選手に勇気を与えたからだ。
5、 イチロー選手は気さくな普通のお兄さんといった感じの好青年だ。

【Ⅳ】メジャーリーグとチームワーク 
1、 メジャー・リーグに限らないかも知れないが、チームワークを守れない選手は追い出される。
2、 年間162試合の間(半年間以上)いつも一緒にいるのだからチームワークは重視される。試合のあるときだけ頑張れば良いというものではない。

【Ⅴ】WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)について
1、 今年のWBCでは、日本が優勝できて良かったが、それに出場した選手はボロボロの状態になってしまった。イチロー選手ですら胃潰瘍になったという。3月に開催されたが、選手へのプレッシャーも多く、時期を含め問題点が多いと思う。
2、 ただ、王 貞治氏も述べていたが、WBCはまだ2回しか開催されていないので、今後5回、10回とやってゆけば、問題点も改善され良くなると思われる。ワールド・サッカーは1930年からやっているので時間が解決してくれるだろう。

【Ⅵ】その他の話題
1、 1984年、ロサンゼルスで開催されたオリンピックで、日本は決勝戦に進出、アメリカ・チームと対戦した。日本はマクガイヤー選手を始め、大半がメジャー指名選手という強豪アメリカ・チームを破り優勝した。野球では強いほうが必ずしも勝つとは限らない。このとき、日本の応援団が「ニッポン・チャ・チャ・チャ」と大声で声援を送ったのが印象的だった。また、試合終了後、自分の前席の米人老婦人から“Congratulations!”と言われ、驚くと同時に大いに教えられた。
2、 1988年のナ・リーグ優勝決定戦で、ニューヨーク・メッツのデビット・コーン投手のコメントがニューヨークの新聞に掲載された。「ハウエル投手(ドジャース)の球はハイスクールの投手なみで簡単に打てる」――― それをみたトミー・ラソーダ監督はおおいに怒り、ゆえにドジャースは発奮し、最終的にメッツを破り、ワールド・シリーズに進出した。――― ひとを怒らせてはいけない、という教訓だ。
また、同じ年(1988年)のワールド・シリーズでは、相手チームからではなかったが、TVスポーツ・キャスターの一人がドジャースのラインアップを見て「こんな酷いラインアップはない。ワールド・シリーズ史上最悪のラインアップだ」――― と酷評した。これで監督はモチベーションをあげたといわれる。
3、 トミー・ラソーダ監督という人のすごいところは、選手のモチベーションを上げる術にたけているところだろう。彼は現役時代は投手で0勝4敗の成績だったが、監督としては1976―1996年の20年間で1,599勝の名監督だった。
4、 選手と監督はまったく違うものだ。名選手が必ずしも名監督になるとは限らない。日本とアメリカでは、誰に監督を任せるかについて、考え方にかなり差があると思う。日本の場合、現役時代にスター選手でなければ監督になれない。なぜなら、彼らが観客、ファンを呼び集めてくるからだ。一方、アメリカは、勝つために監督が自分の使いやすいコーチや選手を連れてくる。
5、 現時点で、日本にはアメリカ始め外国からのプロ野球選手は908人いる。
6、 アメリカの選手はあまり練習はしていないと言われるが、本当のプロとは、レギュラー選手でなくとも懸命に練習をし、努力している。見えないところで懸命にやっている。
7、 メジャー・リーグでは一軍ベンチ入りの選手は25人だが、その下に7段階の2軍、3軍の選手がいる。ドジャースの場合、全選手が250人だから、ベンチに入れるのは10%だけとなる。
8、 メジャー・リーグ全体では、8,700人。殆どの一軍選手は1回は下(2,3軍落ち)してから這い上がっているのが通例だ。

【Ⅶ】最後に今年のドジャース黒田投手について
1、 黒田投手は、いまやドジャースのエースである。ロッカー室も一番奥の最高のところにある。これは球団が彼をエースとして最高に期待している証拠だ。
2、 高校時代、チームのエースではなかったという黒田投手はインタービューで今の高校球児に対し、「どんな時でも絶対に諦めるな、頑張れば必ず思いは達成できる」と伝言して欲しいと述べていた。

以上 
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