2011年度 7月 - 元気に生きよう!
日時: 2011年7月13日(水)、6:30PM - 8:30PM
会場: ニューガーディナ・ホテル
講師:佳緒里・ラナ・ターナー氏
講演録担当:藤原 勝
講師略歴
http://homepage.mac.com/ato_kai/kaori/index.html 【受賞】 1997 メーキャップユニオン功労賞 2002 マックスファクター ビューティー スピリッツ賞 2002 べスト オブ ジャパン 2003 ウーメン オブ ザイヤー(日系コミュニティ) 2003 ウーメン オブ ザ イヤー(市) 2003 エミ一賞 (人気TVドラマ「エリアス」のメイクで受賞。) 昭和8年11月26日、東京、蒲田生まれ。 6歳より、日本舞踊、花柳 寿恵輔に入門。また、義兄ジョージ 堀に夕ップダンス入門。戦後、日本政府の要請により、進駐軍慰間団にて14歳よりジョージ 堀、ベビー・ダンサー・グループとして活躍し、16歳より中村純二舞踊団に入り、アクロバットの第一人者岡本八重子を始めバレエ、ジャズ、各界の先生方に学び、 20歳よりソロダンサーとなる。その後、アイニーパイル劇場及び、日劇「秋の踊り」特別出演、 24歳の時、浅草 新世界トップスターとなり、テレビ、映画出演、また、振付師として活躍。その後、日本文化施設団として(イスラエル、ドイツ、スイス、イギリス)を廻り、香港の公演中、ハリウッドのメーキャップ・アーティスト、ビル・ターナーと知り合い、スティーブ・マックイーンの仲人にて結婚。 アメリカ、ロサンジェルスに居を構えニューヨーク、ラスベガスと出演中、膝の靭帯を痛め、やむなく踊りを断念。ロスに戻り、西本願寺「紅自歌合戦」など司会、その後、演出家としてロサンジェルス東宝トニー・谷ショー、また、友人、伴淳三郎の要請により1976年「あゆみの箱」長谷川一夫、森繁久弥、坂東三津五郎、京マチコなどロサンジェルス、ミュージックセンターにて2年連続公演、純利益5万5千ドルの半分を日本「あゆみの箱」、その半分を、ロサンジェルス日商に寄付する。 その後、コーディネーターとしてピンクレディー、「ラスベガス公演」を成功させ、そのお礼にとロスでの1日を引退者ホームにて公演させ、全利益を引退者ホームに寄付。また、ロサンジェルス、ディズニーランドにて1977年から5年「ジャパンフェスティバル」を成功させ、ディズニーより感謝状5回。日本MOAの依頼により1986年イギリス(ロンドン)、アイルランド(ダプリン)にて、日本紹介のショーを成功させ、ダブリン大統領と昼食をして話題となる。 1980年ハリウッドメーキャプユニオン正式メンバーとなり、映画「フラッシュダンス」で認められ、その後、「バットマン・リターンズ」など数々の映画に携わり、昨年、オスカー賞に輝いた「アメリカン・ビューティー」、「チャーリーズ・エンジェル」などに参加、現在に至る。また、日本のNHK、フジテレビ、TBS、テレビ朝日など、日本で紹介され、美容学校および日本講演や、映画の合間にアメリカの学校でも若者の指導にあたっている。
【カオリ・ナラ・ターナー 出演番組リスト】
93,7 TIME3 フジテレビ
95, おはようナイスディ News23 フジテレビ
97,12/5 シネマパラダイススペシャル NHK BS-2
98,6/2 新ハリウッド物語 東海テレビ
「アメリカン・ドリームに賭ける若き日本人たち」
99,7/12 ジャスト「アキラが行く」 TBS
99,lO/4 Rainbow Cafe MXテレビ
00,1/2 20世紀超完全保存版!世界に甦る幻の映像 日本テレビ
まる秘映像 大見撮スベシャル
「スティーブ・マックイーンが仲人をした日本人」
01,3/11 日曜ビッグスベシャル テレビ東京
「波欄万丈 世界に嫁いだ華麗なる日本女性」
01,5/9 テント de セッション NHK
01,9/11 たけし・所のWA風が来た 朝日テレビ
02,3/2 Japan News Magazine JATV
02,4/10 「開運!なんでも鑑定団」 テレビ東京
02,9/10 「開運!なんでも鑑定団」 テレビ東京
02,7/3 静岡○ごとワイド 静岡第一テレビ
03,1/11 シネマパラダイス NHK BS-2
03,8/13 ディスカバ99 TBS
03,9/20 Emmy受賞インタビュー JATV・UTB
03,1O/14 徹子の部屋 TBS
モーニングTokyo「白沢みきのモーニングテレトーク」 MXテレビ
03,12/31 泣きなさい笑いなさい テレビ朝日
[編集] 講演内容
ターナー女史は各種のTV番組に出演されており、彼女の講演が始まる前の数十分はその映像を観賞し、彼女の経歴を学んだ。
講演は最近日本の被災地訪問を終えて帰国されたばかりの女史の日本での経験談から始まった。
日本の被災地感覚は地域によって大きく差があるようで、京都などでは全く普通の生活が送られているのに驚いた。アメリカで想像するよりも日本人は落ち着いていた。被災地を訪れてみて、本当に必要な物が届いていない事に気付き、ターナー女史は一個一万円の鏡を800個被災地に送った。また、被災地では行政の不備からか、被災者の扱いに不公平だと思われる事項が多く見られた。例えば避難所に多くの人が詰め込まれ、風呂やトイレにも不自由している一方、一部の被災者は温泉旅館に非難し、毎日温泉入れるのは勿論、食事もトイレも全く不自由の無い生活を送っている現実があり、何故、順番に交代しないのかと、疑問を感じた。また、世界中から集められた寄付金も赤十字社に滞ったままで、必要な被災者には届いていないといった現実をみて日本の行政の不備に憤りを感じたとのお話があった。
女史は過去35年間、メーキャップアーティストとして数多くのスター達と接している内に、何でも手に入れる事の出来る大金持ちの一部スター達よりも、小さな幸せを大事にかみ締め、感動出来る我々の方が本当の意味ではもっと幸せなのではないかと思い始めた。スター達は収入も多いが、その名声を保つためにはそれなりの生活を保たなければならず、支出も桁外れに多い。その上、人気商売のため収入の安定を図るための気苦労も大変である事を考えると、平凡な生活を送っている事のほうがよっぽど幸せであると思わされた。
ターナー女史は元気な笑顔で人と接する事、そして日本人はその特徴である親切と優しさを保ち続ける事が(特に女性には)大事であることを説いた。「第一印象が大事です。笑顔、スマイルが大切です」「分らないのを分かったようなふりをしてはいけません。“Can you speak slowly”と言えばいいのです。私は日本語に加えて英語も少しできる。すべてプラス思考でいっています。体験談として、昔、ラスベガスのショウに出演している時に、そのホテルの駐車場を歩いていたら、3人の人相の悪い男達に囲まれそうになったが、女史はその時、逆に彼らに笑顔で話しかけ煙に巻いて難を逃れた事があったそうだ。その時、笑顔の大切さを学んだ。
人には誰にでも一度か二度は不幸に見舞われるもの、そのような時には自分一人だけが不幸にに見舞われていると思ってはいけない。女史自身も辛い経験があった。6歳の頃からダンスを始め、ダンス人生を送ってきた女史がやっとラスベガスでソロダンスの仕事を貰えた時、不幸にも膝の靭帯を痛めてしまい、医者からは歩くのさえも一年程掛かると宣告され、ダンス人生を断念しなければならない事態に見舞われてしまった。しかし、その時がターナー女史のメーキャップアーティストとしての人生を歩む転機であった。今、振り返れば、あの時怪我をしていなければ今の自分は無かったのかと思うと、人の人生では一度や二度、どん底に落とされるような目に会った方が、その後の人生に良い結果を生み出す事が多い。何事にも挫けず、笑顔でがんばるのが良いと話された。
また、夫婦間であれ、周りとの人間関係でも、お互いに褒め合うのが大切だとも話され、人はいつも成長している、女史は歳を重ねる事で自分の成長を確認するのが楽しみだとも話された。
講演の後半でがメーキャップアートの実演が4人の会員ボランティアーのモデルに対し行われ、女性には美しくなるための化粧法が示され、男性には映画撮影用のヤケド、切り傷、弾創の痕などが施された。
先ず、アメリカでは日本と異なりメーキャップアーティストが直接相手の肌を触る事は無いそうである。それは指に着いたばい菌がスターの肌を痛めてしまう可能性があるからだそうだ。女史は化粧を施している間、相手の肌に一切手で触れなかった。
女性の化粧へのアドバイス:
ファンデーションは首の色に合わす
ファンデーションの色は首の色に合わす。女史曰く「顔の色はどうしても、洗顔や化粧などによって色が少し白くなっております。もしその顔の色にファンデーションを合わせると、面を被ったようになります」。
メークアップのこつは短所を隠す
日本人は一般的に鼻が低い。そこで鼻の上から両眉毛の上に向かってインデアンのように白いものを塗る。それを延ばしていくと、鼻筋が通ったように見え、確かに鼻が高く見えるようになった。
眉毛の描き方
眉毛を少し延長させて、眉毛と耳の間にある空間を狭くすると顔が小さく見える。アメリカ人好みの美しい顔とは、頬が少し引っ込んでいるのがよい。(そのためにアメリカの女優は奥歯を抜いている。)
以上、ユーモアを交え非常に有意義で楽しい講演をして頂いた。
会場: ニューガーディナ・ホテル
講師:佳緒里・ラナ・ターナー氏
講演録担当:藤原 勝
講師略歴
http://homepage.mac.com/ato_kai/kaori/index.html 【受賞】 1997 メーキャップユニオン功労賞 2002 マックスファクター ビューティー スピリッツ賞 2002 べスト オブ ジャパン 2003 ウーメン オブ ザイヤー(日系コミュニティ) 2003 ウーメン オブ ザ イヤー(市) 2003 エミ一賞 (人気TVドラマ「エリアス」のメイクで受賞。) 昭和8年11月26日、東京、蒲田生まれ。 6歳より、日本舞踊、花柳 寿恵輔に入門。また、義兄ジョージ 堀に夕ップダンス入門。戦後、日本政府の要請により、進駐軍慰間団にて14歳よりジョージ 堀、ベビー・ダンサー・グループとして活躍し、16歳より中村純二舞踊団に入り、アクロバットの第一人者岡本八重子を始めバレエ、ジャズ、各界の先生方に学び、 20歳よりソロダンサーとなる。その後、アイニーパイル劇場及び、日劇「秋の踊り」特別出演、 24歳の時、浅草 新世界トップスターとなり、テレビ、映画出演、また、振付師として活躍。その後、日本文化施設団として(イスラエル、ドイツ、スイス、イギリス)を廻り、香港の公演中、ハリウッドのメーキャップ・アーティスト、ビル・ターナーと知り合い、スティーブ・マックイーンの仲人にて結婚。 アメリカ、ロサンジェルスに居を構えニューヨーク、ラスベガスと出演中、膝の靭帯を痛め、やむなく踊りを断念。ロスに戻り、西本願寺「紅自歌合戦」など司会、その後、演出家としてロサンジェルス東宝トニー・谷ショー、また、友人、伴淳三郎の要請により1976年「あゆみの箱」長谷川一夫、森繁久弥、坂東三津五郎、京マチコなどロサンジェルス、ミュージックセンターにて2年連続公演、純利益5万5千ドルの半分を日本「あゆみの箱」、その半分を、ロサンジェルス日商に寄付する。 その後、コーディネーターとしてピンクレディー、「ラスベガス公演」を成功させ、そのお礼にとロスでの1日を引退者ホームにて公演させ、全利益を引退者ホームに寄付。また、ロサンジェルス、ディズニーランドにて1977年から5年「ジャパンフェスティバル」を成功させ、ディズニーより感謝状5回。日本MOAの依頼により1986年イギリス(ロンドン)、アイルランド(ダプリン)にて、日本紹介のショーを成功させ、ダブリン大統領と昼食をして話題となる。 1980年ハリウッドメーキャプユニオン正式メンバーとなり、映画「フラッシュダンス」で認められ、その後、「バットマン・リターンズ」など数々の映画に携わり、昨年、オスカー賞に輝いた「アメリカン・ビューティー」、「チャーリーズ・エンジェル」などに参加、現在に至る。また、日本のNHK、フジテレビ、TBS、テレビ朝日など、日本で紹介され、美容学校および日本講演や、映画の合間にアメリカの学校でも若者の指導にあたっている。
【カオリ・ナラ・ターナー 出演番組リスト】
93,7 TIME3 フジテレビ
95, おはようナイスディ News23 フジテレビ
97,12/5 シネマパラダイススペシャル NHK BS-2
98,6/2 新ハリウッド物語 東海テレビ
「アメリカン・ドリームに賭ける若き日本人たち」
99,7/12 ジャスト「アキラが行く」 TBS
99,lO/4 Rainbow Cafe MXテレビ
00,1/2 20世紀超完全保存版!世界に甦る幻の映像 日本テレビ
まる秘映像 大見撮スベシャル
「スティーブ・マックイーンが仲人をした日本人」
01,3/11 日曜ビッグスベシャル テレビ東京
「波欄万丈 世界に嫁いだ華麗なる日本女性」
01,5/9 テント de セッション NHK
01,9/11 たけし・所のWA風が来た 朝日テレビ
02,3/2 Japan News Magazine JATV
02,4/10 「開運!なんでも鑑定団」 テレビ東京
02,9/10 「開運!なんでも鑑定団」 テレビ東京
02,7/3 静岡○ごとワイド 静岡第一テレビ
03,1/11 シネマパラダイス NHK BS-2
03,8/13 ディスカバ99 TBS
03,9/20 Emmy受賞インタビュー JATV・UTB
03,1O/14 徹子の部屋 TBS
モーニングTokyo「白沢みきのモーニングテレトーク」 MXテレビ
03,12/31 泣きなさい笑いなさい テレビ朝日
[編集] 講演内容
ターナー女史は各種のTV番組に出演されており、彼女の講演が始まる前の数十分はその映像を観賞し、彼女の経歴を学んだ。
講演は最近日本の被災地訪問を終えて帰国されたばかりの女史の日本での経験談から始まった。
日本の被災地感覚は地域によって大きく差があるようで、京都などでは全く普通の生活が送られているのに驚いた。アメリカで想像するよりも日本人は落ち着いていた。被災地を訪れてみて、本当に必要な物が届いていない事に気付き、ターナー女史は一個一万円の鏡を800個被災地に送った。また、被災地では行政の不備からか、被災者の扱いに不公平だと思われる事項が多く見られた。例えば避難所に多くの人が詰め込まれ、風呂やトイレにも不自由している一方、一部の被災者は温泉旅館に非難し、毎日温泉入れるのは勿論、食事もトイレも全く不自由の無い生活を送っている現実があり、何故、順番に交代しないのかと、疑問を感じた。また、世界中から集められた寄付金も赤十字社に滞ったままで、必要な被災者には届いていないといった現実をみて日本の行政の不備に憤りを感じたとのお話があった。
女史は過去35年間、メーキャップアーティストとして数多くのスター達と接している内に、何でも手に入れる事の出来る大金持ちの一部スター達よりも、小さな幸せを大事にかみ締め、感動出来る我々の方が本当の意味ではもっと幸せなのではないかと思い始めた。スター達は収入も多いが、その名声を保つためにはそれなりの生活を保たなければならず、支出も桁外れに多い。その上、人気商売のため収入の安定を図るための気苦労も大変である事を考えると、平凡な生活を送っている事のほうがよっぽど幸せであると思わされた。
ターナー女史は元気な笑顔で人と接する事、そして日本人はその特徴である親切と優しさを保ち続ける事が(特に女性には)大事であることを説いた。「第一印象が大事です。笑顔、スマイルが大切です」「分らないのを分かったようなふりをしてはいけません。“Can you speak slowly”と言えばいいのです。私は日本語に加えて英語も少しできる。すべてプラス思考でいっています。体験談として、昔、ラスベガスのショウに出演している時に、そのホテルの駐車場を歩いていたら、3人の人相の悪い男達に囲まれそうになったが、女史はその時、逆に彼らに笑顔で話しかけ煙に巻いて難を逃れた事があったそうだ。その時、笑顔の大切さを学んだ。
人には誰にでも一度か二度は不幸に見舞われるもの、そのような時には自分一人だけが不幸にに見舞われていると思ってはいけない。女史自身も辛い経験があった。6歳の頃からダンスを始め、ダンス人生を送ってきた女史がやっとラスベガスでソロダンスの仕事を貰えた時、不幸にも膝の靭帯を痛めてしまい、医者からは歩くのさえも一年程掛かると宣告され、ダンス人生を断念しなければならない事態に見舞われてしまった。しかし、その時がターナー女史のメーキャップアーティストとしての人生を歩む転機であった。今、振り返れば、あの時怪我をしていなければ今の自分は無かったのかと思うと、人の人生では一度や二度、どん底に落とされるような目に会った方が、その後の人生に良い結果を生み出す事が多い。何事にも挫けず、笑顔でがんばるのが良いと話された。
また、夫婦間であれ、周りとの人間関係でも、お互いに褒め合うのが大切だとも話され、人はいつも成長している、女史は歳を重ねる事で自分の成長を確認するのが楽しみだとも話された。
講演の後半でがメーキャップアートの実演が4人の会員ボランティアーのモデルに対し行われ、女性には美しくなるための化粧法が示され、男性には映画撮影用のヤケド、切り傷、弾創の痕などが施された。
先ず、アメリカでは日本と異なりメーキャップアーティストが直接相手の肌を触る事は無いそうである。それは指に着いたばい菌がスターの肌を痛めてしまう可能性があるからだそうだ。女史は化粧を施している間、相手の肌に一切手で触れなかった。
女性の化粧へのアドバイス:
ファンデーションは首の色に合わす
ファンデーションの色は首の色に合わす。女史曰く「顔の色はどうしても、洗顔や化粧などによって色が少し白くなっております。もしその顔の色にファンデーションを合わせると、面を被ったようになります」。
メークアップのこつは短所を隠す
日本人は一般的に鼻が低い。そこで鼻の上から両眉毛の上に向かってインデアンのように白いものを塗る。それを延ばしていくと、鼻筋が通ったように見え、確かに鼻が高く見えるようになった。
眉毛の描き方
眉毛を少し延長させて、眉毛と耳の間にある空間を狭くすると顔が小さく見える。アメリカ人好みの美しい顔とは、頬が少し引っ込んでいるのがよい。(そのためにアメリカの女優は奥歯を抜いている。)
以上、ユーモアを交え非常に有意義で楽しい講演をして頂いた。