これは、
”自分で努力もせずに人に助けてもらうことではない”、
ということを喩え話である人から教わりました。
< 喩え話 >
ある山道で、エンジンが止まってしまった大型バス。
それを一人で必死になって押している人がいた。
「あんな大きなバスを一人で押したって動くはずがない」
と笑って通り過ぎた。
しかし、バスを押していた人の真剣な表情が気になり引き返してみる。
すると、通りがかりの車が何台も停まって、
次々と皆が一緒にそのバスを押している光景が目に入った。
この人は、誰にも
「助けてください」
とお願いしていない。
あまりにも無茶なことをド真剣に行なっている姿に皆が心を動かされた。
これが、私がこの方から教わった
「他力」
です。
無茶なことをしなさい、
という教えではない。
本気で、必死に、そして真剣に物事に取り組んでいると
その純粋は姿は周囲の人たちの心を動かし、奇跡を起こす
自分の力を超えた
“天の力”が働く
それが本当の「他力」
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以前、このブログで「成功率100%」というテーマで書いたことがあります。
それともつながるお話し。
最近、日本の保険業界でNo.1になった経歴の人のセミナーへ参加する機会がありました。
そこでとても納得できるお話があったので、ここで皆さんとシェアさせてもらいます。
皆さんも“80・20の法則”ということを耳にされたことがあると思います。
それと関係のあることです。
このK氏曰く、
「誰でも成功できる!」
(それを自分の経歴で実証している人の言葉は重みがあります)
以下は、彼のお話しから。
* * * * *
皆さん、こういったセミナーなどへ来られて、
「なるほど」「それは素晴らしい!」「貴重なことを学ばせてもらった」
と感動し、感銘し、気持ちが高揚してセミナーを後にする。
それなのに・・・
80%の人たちは、翌朝には感動が薄れ、いつもと同じ仕事、生活、習慣へ戻る
実際に何かの行動を起こす人は、20%しかいない
そして・・・
感動を忘れずにせっかく行動を起こしたものの、80%は三日坊主で終わる
行動を持続させ、日々の習慣とできる人たちは20%しかいない
つまり・・・
20%が行動を起こし、またその中の20%だけが持続する
20%の20%は、全体のわずか4%
特別な能力や才能がなくとも、
行動を起こし、それを持続させ、毎日の習慣にすることができれば、
それだけでTop 4%になれる。
* * * * * * *
こうして数字で示されると説得力ありますよね。
私には“ガーン”と来ました。
誰でも人生に勝てる方法。
小さな例ですが、
私が、ひょんなことからこのブログを書くという行動を起こしたのは2年前。
正直言って、こんな変な独り言が2年後にまだ続いているとは思っていなかった
自分が気付いたこと(できていることではないんです)を
こうして皆さんへシェアして、一緒に成長できたら素晴らしいと思ってつづけています。
私にとっては、こうして書くことで頭の整理が行われ、
理解も深まる(まだできていないんですが 汗)
また、自分が書いたことを何度も読み返してみて、
「なるほどぉ」と、他人が書いたものを読んでいるように再度学べるという効能がある(笑)
つづけていることで、
「出相さんのブログ読んでますよ」
とお声をかけてもらうことも増えました。
(ちょっと気恥ずかしいんですが・・・)
私は不動産エージェントである前に、
悩み多き生身の人間であることを、こうしてみなさんへ暴露している
これを読んで
「何か変な人」
と思われたとしたら、それは仕方ないです。
これが現在の私なのだから
(勿論、数年後にはもう少しまともなことを書けるようになりたいと思っていますが)
K氏のお話しを伺って、
私が常々感じていた「行動」と「持続」の大切さを再確認できました。
これは私のような凡人が成功する方程式です。
「行動」と「持続」でトップ4%を目指し、
そこから反省、改善、創意工夫、チームワークで
更なるトップ1%を目標にする。
私がトップ1%になるということは、
“私腹を肥やす”という俗っぽいことではなく、
「周囲の人たちへ夢と希望を与えられる」
「皆さんのお役に立てる」
「幸せを分かち合う」
という大きな意義と目的があります。
まず、
一緒にトップ4%へ入りましょう!
そしたら、そこから見える景色は今とは違うはず。
今は見えない、もっと上が見えてくる。
今思っているトップ1%とは、違う1%が見えるであろうことを楽しみにしています。
目の前にハシゴはある。
登らずにいる80%、そして途中で登ることを辞めてしまう16%、
どんなにゆっくりでも、登り続けている限り、
96%の人たちよりは上に行ける
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私はつい最近まで、この二つの言葉の違いがよく分からなかった。
それと同時に、何故同じような状況や出来事を通じて人によってそこからの人生が大きく異なるのか?それぞれの能力の差なのか?
と不思議に思っていた。
同期の新卒で同じ職場に入り10年後に上司と部下の関係に変わっている人たち
似たような環境で育ちながら、全く異なる人生を歩んでいる人たち
いつまでも同じ失敗を繰り返している人たち
状況、環境、出来事がただ単に“通過”して行く人
状況、環境、出来事を“受け止める”人
つまり、
状況、環境、出来事などは、「体験」であって、
そこから何かに気付き、学び、成長へつなげることで、初めて「経験」となる
なるほど・・・
辛いことがあったとき、顔を背けて“逃げる”のか、
辛い「体験」を“受け止め”て、二度とそうならないように考え「経験」とするか、
これは積み重なれば、想像をはるかに超える違いになる
振り返れば、
私は沢山の「体験」はあるが、それらを受け止めて「経験」にできていなかった
違いが理解できた今、
これからは「経験」を積んで行こうと思う。
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先日、知人の結婚式へ参列した。
綺麗なゴルフ場にある屋外式場。
緊張の面持ちで待つ新郎のもとへ、新婦が白い馬車で到着するというアメリカならではの演出だった。
セレモニーが始まり、新郎新婦を前に牧師さんの定番のメッセージ。
「健やかなる時も病めるときも、死別するまで夫婦として愛し合い支え合い・・・」
バツイチの私には、心にグサッと刺さる言葉だ。
みんなこうして神聖な気持ちで夫婦になる。(私もそうでした 汗)
それなのに、何故過半数の結婚が破局を迎えるのか?
何故、多くが“仮面夫婦”“家庭内離婚”という結末になるのか?
結婚とは、
分別のある大人の男女が、お互いの自由意志でパートナーとなる選択をすることだと思う。
ここでのキーワードは、「自由意志」と「選択」。
現在の結婚制度で私が“?”と疑問を感じるのは、
セレモニーで牧師さんから新郎新婦それぞれへ誓いを求める一節、
「Do you promise to love…」
“愛”という崇高な自由意志の選択が、“約束=契約”へ成り下がってしまうこと。
お互いの自由意志で一緒にいることに大きな意味がある。
それを「約束」することに違和感を感じるのは私だけだろうか?
お互いの良い部分もそうでない部分も理解し、
文化、風習、価値観などの“違い”を相互に受け入れ、
良いことだけでなく、様々な困難も一緒に乗り越える伴侶になる
当然ながら、結婚は感情の高ぶりや勢いだけで軽率に行うものではない。
自分が失敗しているので、このことは実体験から痛いほどわかる。
お互いの自由意志と選択で、一生愛し合い支え合える関係。
それが本当の結婚であり夫婦。
“愛”には、約束も契約も無い
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人生は、
人間関係で始まり
人間関係で終わる
生まれて育つ過程での両親、兄弟・姉妹、親戚などからの影響。
その後、学校の先生、先輩、友人、恋人などからの影響。
社会に出てから、上司、同僚、取引相手、夫・妻、義理の親などからの影響。
家族など自分が選べない人間関係
友人やお付き合い・結婚相手のように選べる人間関係
上司、同僚、知人など、距離感をコントロールできる人間関係
過去にどういう人たちと関わっていたか?
現在どういう人たちと関わっているか?
これからどういう人たちと関わるか?
自分の価値観や人生観の変化と共に、関わる人たちが変わる、
その逆もしかりで、関わる人たちが変わることで、価値観や人生観が変わる、
我々は、
良くも悪くも、無意識のうちにお互いに影響し合っている
過去、現在、未来と、
関わっている人たちがどのように変わっているか、
が自分がどのような方向へ向かっているか、
を顕著に示している。
関わる人たちが、自分の人生に大きな影響を与えるのはあなたも実感していると思います。
そして、あなたも周囲の人たちへ少なからぬ影響を与えている。
今、自分の周囲にいる人間関係が、今の自分を反映している。
自分がこの世を去るとき、
そこへ集まってくる人たち。
それが自分の人生の総決算を物語る。
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私は下手の横好きでときどきゴルフをする。
(“下手”は謙遜ではなくて事実です・・・涙)
今日は、ゴルフに例えたお話し。
ゴルフとは簡単に言うと、クラブでボールを打って、できるだけ少ない打数でホールへ入れるスポーツである。
スタート地点からゴールまでの間には、バンカー(砂場)や池や木などの障害があり、地面は起伏や傾斜がついている。ちょっと横へそれると、草が深くなっていて打つのが難しい。
そしてそれは、18ホールの異なる設定になっている。
何の障害もない平坦なコースは無い。
我々の人生はゴルフに似ていると思った。
毎日の生活で、我々はミスショットを打ってしまう。
毎日練習をしているプロでさえ、バンカーや池にボールが入ったり、木に当たることがある。
ミスショットをしたからといってそこでプレーを辞める人はいない。
バンカーに入ったとき、落胆せずに冷静なリカバリーショットを打てるか?
池ポチャやOBになったとき、ペナルティーを受け入れて再スタートできるか?
そんなときに、
「風が」「コースのコンディションが」「体調が」
と言い訳してもスコアは良くならない。
他の人たちも同じコンディションの中を一緒にまわっている
私の人生は後半戦に入っている。
前半の9ホールでは、
バンカーに入って出れなくなったり、
勢い込んで打ったものの木に当たりボールが戻ってきたり、
池にも何度もハマった。
スコアは自分の期待をかなり下回っている。
それらのミスから学び、後半戦でどうリカバーするか?
ここで大切なこと。
あたなには良いキャディーがいるか?
あなたは、大切な人の良いキャディーになれているか?
打ち方や適切なクラブの選択。
ミスショットをしたときの精神的なサポート。
キャディーの存在はプレーに大きな影響を与える。
人生の成功は、
お互いが、お互いの良いキャディーになること
我々の前途には、まだ沢山のバンカーがある
キャディーと一緒に、バンカーから脱出できる人が勝つ
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これは私が毎日持ち歩いているバインダーの最初のページです。
毎朝、これを読んで一日を始めます。
今まで何度も何度も書き直し、その更新日も明記しています。
引き寄せの法則を学びいろいろと考え、
甘えた自分を叱咤激励し、
仲間たちに勇気づけられ、
それでも、、、
少しわかったようで、まだわかっていない
一歩進んだと思えば、二歩さがることもある
迷子になって途方に暮れることもある
それでも、、、
諦めずにつづける
倒れるときには前に倒れる
そしてまた立ち上がる
それでも、それでも、それでも、、、
何が私の背中を押しているのだろう?
子供の笑顔か?
将来への夢か?
これからも、
何度も挫けるであろう、
何度も倒れるだろう、
何度も弱音を吐くだろう、
そんなことを繰り返しているうちに、
いつの日か霧が晴れて、目の前がパッと拓けるのかも知れない
いや、いつまでも深い霧の中をさまよいつづけるのかも知れない
それでも、
「それでも」
をつづける、
これは辛い生き方ではない
悔いの無い生き方、
言い訳の無い生き方、
結果がどうであれ、納得の行く生き方
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良いこと、悪いこと、
これはかなり主観的である
時代によって、国によって、文化によって、その人の価値観によって、
「善」と「悪」は解釈が異なる
意識レベルの低い人間社会では、
「法律」や「規則」
によって、“善悪”を規定しようとしている。
そして、これらの法律や規則は、
時代によって、国によって、文化によって、風習によって、
大きく異なる。
法律や規則で認められていることが“善”とは限らない
法律や規則で禁じられていることが“悪”とも限らない
本当の善悪は、法律や規則ではなく、
時代を超え、国や文化、風習を超え、
「人間として何が正しいか?」
という普遍性に起因すると思う。
「和の尊重」「個の尊重」「共存共栄」
我々の心で、そして魂で、“善悪”が理解できたとき、
この世から法律や規則が無くなる
裁判も犯罪も争いも無くなり
軍隊や警察も過去の産物となる
我々の世代で間に合わなくとも、
子供たちの世代では実現して欲しい
まずは自分から始めなくては(汗)。。。
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ウワサ話は、無責任な未確認情報で人を中傷するものが多い。
知識を得るための情報交換とは根底から異なる。
それをする人、
それを聞く人、
それをふれ回る人、
ほとんどのウワサ話は事実が湾曲されている
それをする人の偏見や主観や誇張が入る
自分で確認していない又聞きの話を面白がって無責任にふれ回る
これは人間として恥じるべき卑劣な行為ですよね
私は気を付けて、
ウワサ話をしない、聞かない、参加しない
と心がけている
自分のウワサ話が回り回って自分の耳に入ったことはありますか?
私は事実と全く異なる一方的な話が回っていることを知り、驚いたことがあります。
中傷的ウワサ話の根源は、
「嫉妬」のようです。
向上心のある人、
努力している人、
自分と向き合っている人、
はウワサ話をしない
自分の現状に甘んじている人、
文句や言い訳ばかりで努力をしない人、
自分と向き合えない人、
そういう人たちが、ウワサ話で人の足を引っ張って自分を慰めている
そういう人に限り、自分のウワサを聞くと顔を真っ赤にして憤慨する
不思議ですね
言いたい人には、言わせておけばいい
雑音に惑わされず、自分は自分の信じる道を進む
そして、素晴らしい人生を自分で切り開く
ウワサ話をしている人たち、、、
人の足を引っ張っているようで、実は自分の足を引っ張っている
どんどん堕ちてゆく
そのことに気付けた私はラッキーだ
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みなさん両側を経験していますよね。
相手を変えようとする
相手から変えようとされる
どうでしたか?
うまくいったケースはありますか?
私も両側を経験し、何度も大失敗をしましたぁ~!(汗)
変えようとする行為は、
自分の偏見に満ちた物差しを当てて、その人を否定する
自分のことは棚に上げて、その人の“短所”だけ指摘する
その人の状況や経緯もわからずに「あなたはダメです!」と言っていること
なんです。
だから、反感や抵抗を生み出すことはあっても、
本当の意味での改善や向上には絶対につながらない
私を含め、「あの人は私を変えようとしている」と感じて、
素直に聞く人はいない
これは、愛のあるアドバイスや忠告とは大きく異なります。
愛のあるアドバイスや忠告は、その人を許容することから始まる
人を変えようとする行為は、その人を否定することから始まる
自分のことを自分で認めることですら、みんな苦労しているのに、
他人から否定され、変えられようとして“そのとおりだ!”と思う人はいないんです。
我々は、自分で変わりたい、変わろう!と思わない限り、
何も変わらない。
それどころか、反発して人から指摘された逆の行動に転じることすらある。
つまり、悪化することすらあれ、良くなることはないんです。
人を否定せずに距離をあける
大切な人なら、そのまま受け入れ、愛のあるアドバイスや親身の忠告をする
偏見からの非難か、
愛からの忠告か、
あなたは、すぐにわかりますよね。
相手もそうです。
私に足りないことばかり・・・
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