>財布を紛失してしまった
>約束をすっぽかされた
>車の違反チケットをもらった
など誰でも体験することから、
▶ 失業
▶ 離婚
▶ 大怪我・大病・事故
などの災難まで、
何か好ましくないことに遭遇したら
「あーよかった」
を口癖にする。
そして、
「何が良かったのか?」
理由を真剣に考える。
例えば私の場合、
仕事がスローになったときに、
「あーよかった」
良かった理由を考えると、
マーケティングを根底から見直すチャンス!
今まで連絡できていなかった、過去のお客様へフォローアップできる!
新しい体制づくりのための本を読んだりセミナーへ参加できる!
スローにならなければ、
“このままでいい、現状維持でいい”
と勘違いしてしまう。
うまく行かないことがあるから、
“改善”へ意識が向く。
そして、後で振り返ると、
「あの時のあの辛い出来事があったから、今がある!」
となるわけである。
失業だって、より良い仕事へのチャンスだし、
病気やケガを通して、価値観が大きく変わることもある。
この突拍子も無いことを、
もし、習慣にできたら。。。
究極は、
同じことをする仲間が集まり、
何があっても、
「よかったね!チャンスだね!」
とお互いに励まし合う。
試練も困難も、すべて勝利へ転換し、
失敗も負けも、無くなる。
夢物語なのだろうか?
いや、
きっとできるはずだ。
ロサンゼルス不動産 出相 ◎DEAI TEAMのホームページ
裏の無い平面はない。
裏がなければ表は存在しない。
上下
左右
陰陽
善悪
明暗
この物質社会のほとんどは「相対」で成り立っている。
短所の無い人はいないですよね?
短所があるから長所が存在する。
実はこの相対、
線引が明確でないことがある。
>善悪は人によって判断が異なる。
>上下だって、どこからが“上”で、どこからが“下”か。
>Aさんが“重い”と思っても、Bさんは“軽い”と言う。
何がポイントかというと、
相対するものは、双方があって初めて成り立つ
ことを理解する。
ポジティブ思考は素晴らしいが、
絶対に注意しなくてはならないことがある。
それは、
ネガティブを否定しないこと。
(肯定する必要はない)
ネガティブを認めることで、ポジティブを増幅することができる。
この物質社会で生きてゆくためには、
相対する双方の存在を受け入れて、味方に付ける。
嫌なものがあるという事実を受け入れ、
その上で、素晴らしいものを築いて行く。
それによって築かれた基盤は揺るがない。
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人生において、
怖いと思うこと、嫌だと感じること、気が進まないこと、
少なからず遭遇する。
それらへどう対応するか?
が人生の方向性へ大きな影響を与えることは何となく頭ではわかっていた。
先日ある人から「なるほどぉ!」と肝に落ちる話を聞いたのでここでシェアしたい。
あなたも、夜中に忘れ物をしてオフィスへ立ち寄った経験はあると思う。
昼間の活気とは打って変わり、静まり返った建物。
真っ暗な階段や廊下、誰もいないデスクと椅子の並ぶ部屋。。。
決して気持ちのよいものではない。
そんなとき、
暗闇に一瞬人の気配を感じたとしたら、
ドキッ!とするのは誰でも同じ。
問題は、そこでどう対応するか?
恐怖心に襲われ、慌てて出口へ向かって走り出すか、
それとも、
人の気配があった方を見据えて
「誰かいますか?」
と勇気を出して力強く言ってみるか、
ただ単に臆病か、度胸があるか、
ではない。
恐怖心で逃げると、
「不審者がいるかも知れない、もしかしたら幽霊かもしれない・・・」
と事実とは別に怖さを植え付け、それはいつまでも自分に付きまとって離れない。
(これは喩え話であって、不審者と戦えと言っているのではないです、勿論)
毎日の生活で必然的に起こる“好ましくない出来事や状況”。
この“好ましくない出来事や状況”の真相は、実は自分の中の「弱さ」なんですね。
勇気を出して正面から向かい合い解決すれば、同じことにはビクともしなくなる。
怖いことからいつも逃げてばかりいると、いずれ行き止まりに追い込まれる。
どちらが正しいということではない。
これはあなたの選択。
「向き合う」
ということの意味が少し理解できた喩え話だった。
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今までの人生で、
差別をしたことも、
受けとことも、
あるはず。
差別の原因は、ほとんどの場合、
その人のコントロール外の要素であることが多い。
> 人種や文化
> 宗教や思想
> 性別、年齢
> 外観、性格、立ち振舞
> 心身の障害
> 生い立ちや生活環境
> 学歴
などなど、、、
私は強い表現をすることはほとんど無くなったが、
ここでは、はっきり言いたい。
差別をすることは人間として最低の行為
差別をする人は自分を人間として最低のレベルへ下げている
私も差別をしたことがある。
自分が差別を受けて、初めて差別がいかに愚かなことかがわかった。
我々人間は、
見た目(サイズ、色、形、立ち振舞)も、
中身(性格、適性、身体機能や障害も含め)も、
育った環境も、
性別(同性愛を含め)や年齢も、
学歴や物事を学ぶ能力も、
信仰や信念も、
まったく同じ人はこの世にひとりとしていない。
だからこそ、
それぞれが唯一の存在として希少であり、価値がある
自分と異なるから・・・
見た目が滑稽だから・・・
考え方や態度が違うから・・・
環境が良くないから・・・
一部の能力が劣っているから・・・
すべてに同意する必要はない、
それぞれを肯定しなくてよい、
だが、
違う、という理由で否定することは誰にもできない
今朝、海へ行った。
砂浜で砂を手に取ってみた。
そこには、
様々な色や形をした石、貝殻や珊瑚の破片など、
どれひとつとして同じものはない。
あなたも砂を手にとって見れば、
それぞれの異なる美しさに魅了されるはず。
我々は砂浜にある一粒の砂と同じだと思った。
異なる“個”が集まって素晴らしい全体を形成する。
我々は、
“違い”を尊重し共存共栄する集合体
差別がなくなったとき、
この世に真の平和が訪れる
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Santa Monica Mountainへハイキングに行った。
自然に囲まれた山道を一歩一歩進んで行く。
鳥のさえずり、足に伝わる土や石の感触、草木や花の香り、
いつもとは違う環境へ足を踏み出した。
額に汗が流れる
私はジムで運動をしているので体力にはそれなりに自信はあったが、
山道のハイキングはバカにできないなぁ、と思った。
だんだんと上に登るに従って、視界が少しずつ広がって行く。
今まで見えなかった遠くまで見渡せるようになる。
頂上へ到達した。
ロサンゼルスの市街を遠くまで見下ろした。
空気は少しひんやりしていて、新鮮だった。
眺望と爽快感に感激。
この景色はいつもここにある。
労力を払って上まで登った者だけが体感できるご褒美。
いつもと同じ場所で足踏みしていたら、この景色は一生見れない。
人生という山。
同じ場所での足踏みは辞めて、
登ってみようと思った。
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確証のないこと、仮定の話、可能性
「もし」の使い方で生き方が変わる。
「もし」
の後にいつもどういう言葉がつづくか?
以前、このブログでも触れたことがあるが、
自問は自分の知識や経験へ対する「検索」となる。
“もし、うまく行かなかったら”
という自問は、
ダメになるあらゆる事例や
それによって引き起こされうるいろいろな“損失”について、
自分の知識や過去の経験へ検索をかける。
当然のことながら、
沢山の好ましくない可能性、
それらの精神的、経済的、その他ダメージのオンパレードが出てくる。
それにより、
「やっぱり辞めておこう」
となるのも当然である。
“もし、うまく行くとしたら”
という仮定は、
成功できる要素や方法を探し出す。
どうしてダメなのか?
ではなく、
どうしたらできるのか?
へ思考が集中すると、
今まで考えつかなかった、いろいろなアイデアが湧いてくるから不思議。
人間の脳は、
ワクワクすることを考えるとき、
機能が大きく活性化されるそうだ。
行動を起こし、その結果を見て
“もし、うまく行くとしたら”
の自問を何度も繰り返す。
新しいアイデアと行動が自分を次のステップへ引き上げてゆく。
覚えていますか?
言葉も思考も、宇宙へ対する“願い”であることを。
“もし、うまく行かなかったら”
という言葉や思考が定着していると、
その波長に合った人や出来事が引き寄せられてくる。
“こうなりたい”
へ意識を向ける癖をつけると、
その波長に合った人や出来事が引き寄せられ、
なりたい方向へすべてが動き出す
「でも、それって本当ですか?」
“もし、本当だとしたら”
という質問へ変えられた人だけが、
その答えを知っている。
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「あなたの銀行口座の残高がゼロになっています。
今日中に入金がなければ、口座は解約します。」
私が25才のとき。
フロリダ州のマイアミでヘリコプターの教官をしていた。
“教官”と一見格好良く聞こえるが、
ビザはとっくに切れ、不法滞在の身。
飛行学校の経営は悪く、給料の支払いもままならず、
生活のために、毎晩8時から夜中の2時までレストランの裏で皿洗いをしていた。
勿論、生徒たちは私にそんな“裏”があることは知らない。
(不法滞在だったので、仕方ないですが・・・)
「ちょっと、待ってください。。。」
ポケットに手を入れて探しだした現金は昨晩のチップでもらった$20。
急いで銀行へ行き、持ち金のすべてである$20を入れて口座をキープした。
マクドナルドでハンバーガーを食べるお金がなかった。
毎朝、ランチ用にボローニャ(ハムより安い)とチーズのサンドイッチを作って持参。
夜は、レストランからの“まかない”をガツガツ食べていた。
あのとき、
皿を洗いながら悔しくて、悔しくて仕方なかった。
今、振り返ると、
苦しさも辛さも消え去り、
懐かしい想い出。
そして、
つくづく、
なんと貴重な体験をさせてもらったものか、
本当にありがたい!
と心から思う。
お陰で、
好き嫌い無く何でもありがたく食べるようになり、
食べ物を粗末にしたり、
無駄遣いしたり、
リサイクルできる瓶や缶、水のボトルをゴミ箱へ捨てたり、
ということへ、
大きな抵抗を感じる(感じられる)人間になった。
「足るを知る」= 今あるものに感謝する
ことを体験から学び、
経験とできた私は幸せ者である。
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自分や大切な人が、重い病気や大怪我で苦しんでいるとき
人生の分岐点に立ち、重大な決断をしなければならないとき
大切な試練に立ち向かうとき
宗教を信仰していない人(私を含め)でも、
両手を合わせ、
目を閉じて、
「神様、お願いします!」
と心で叫んだこと、
一度や二度はあるはず。。。
(私は数えきれない程あります)
顕在意識では、
“神頼みなんて迷信だ”
と否定してみても、
潜在意識では、
“自分の力を超えた何かがある”
ことを誰もがわかっている。
自分が“神頼み”をしたときのことを思い出してみてください。
自分を遥かに超えた存在へ、
(それを神と呼ぶかどうかは別として)
自分の小ささ、弱さを認めて、
謙虚に、
純粋な気持ちで、
両手を合わせていた。
“神頼み”をしたとき、
「自分でできるだけのことをした。神様助けてください!」
という頼みなのか、
「することもせずに、都合の良いときだけの神頼み」
なのか、
自分はよくわかっている。
ある人から言われた。
“人事を尽くして天命を待つ”
という「真の願い」は、必ず叶う
でも、その叶い方は、
自分が思っているタイミングやイメージとは異なる場合が多い。
だから、「願いが叶っていない」と思い違いをしてしまう。
雑念、欲の無い心は、
いつも宇宙とつながっている
そのときは気付かなくても、
大きな観点から、
神頼みは、いつも叶っている
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毎日の生活は、人と人との関わり合いで成り立っている。
そんな中で、
難しい人、
筋が通っていない人、
いつも問題を起こす人、
との遭遇も現実としてたまにある。
私も最近、公私共にそういった人たちとの遭遇があり、
いろいろと考えさせられた。
どうして、あの人は、
▶ 無茶苦茶なことを平気でするのか?
▶ いつも、文句、言い訳、人のせいなのか?
▶ 客観性、公平性、反省というものがないのか?
自分が過去に同じことをした時の状況も思い出しながら(汗)、
“どういう共通点があるのか?”
と考えていた。
論理もなければ、筋も通っていない言動
反省も感謝もない態度
自己の正当化に徹する言い分
そして、
やっと、少し見えてきたことがある。
そういう人たち(過去の自分も含め)の共通点がある。
自分のすべきことはせず、すべて棚に上げ
自分の落ち度を指摘されようものなら、感情的になって筋の通らない反論と正当化
それでいて、権利だけは一方的に主張する
一般常識が通用しない相手。
これは手強い。
まともに対応すると、
その“自分勝手エネルギー”に吸い込まれて、
こっちがストレスでやられてしまう。
あなたもそんな体験ありませんか?
責任を取らない人
自分の落ち度を認めない人
権利だけ主張する人
これは、
以前このブログで書いた「魂の年齢」がすごく幼い人の典型例。
同じ事を3歳の子供にされても大人が激怒しないですよね?
そうなんです。
そういう人との関わりで、自分がストレスで具合悪くならないようにする
一番の方法は、
「魂の年齢の幼い人」
と受け止めること。
それによって、感情的にならずに済む。
もっと距離をあけた関係への切り替え、
もしくは、その人との関係自体を辞める。
責任を無視して、権利だけ主張する人は、
この世で最も“魂の幼い赤子”に属する。
泣き喚く赤子と喧嘩をする大人はいない。
その“赤子”を自分が育てるつもりなら別として、
(育てようとして墓穴を掘った人を沢山知っていますが)
そうでなければかかわらないほうがいい。
そして、、、
自分が”赤子”になっていないか?
”人の振り見て我が振り直せ”
自問をいつも忘れない。
元赤子より、
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一度で終わらせようと無理して沢山の荷物を抱えたところ、
バランスを崩し、それらが落ちて全部壊れてしまった。。。
急いでいたので近道を通ろうとしたら、
迷って余計時間がかかってしまった。。。
早く結果を出したくて基礎をしっかりと学ばずに仕事を始めたら、
大きなミスを犯し取引先の信頼を失った。。。
似たような体験は誰にでもある。
時間、労力、手間をセーブしようとして、
かえって、より多くの時間、労力、手間がかかってしまったこと。
“急がば回れ”
という日本の諺がある。
時として、
急ぐからこそ、
必要な時間、労力、手間をかけて、
しっかりと終わらせる。
一見、遠回りに見えて、
実は一番の近道ということがある。
今、あなたの生き方は、
“本当に大切なこと”
をスキップしていませんか?
「遠回り」をしてみるときかも知れない。
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