自分や大切な人が、重い病気や大怪我で苦しんでいるとき
人生の分岐点に立ち、重大な決断をしなければならないとき
大切な試練に立ち向かうとき
宗教を信仰していない人(私を含め)でも、
両手を合わせ、
目を閉じて、
「神様、お願いします!」
と心で叫んだこと、
一度や二度はあるはず。。。
(私は数えきれない程あります)
顕在意識では、
“神頼みなんて迷信だ”
と否定してみても、
潜在意識では、
“自分の力を超えた何かがある”
ことを誰もがわかっている。
自分が“神頼み”をしたときのことを思い出してみてください。
自分を遥かに超えた存在へ、
(それを神と呼ぶかどうかは別として)
自分の小ささ、弱さを認めて、
謙虚に、
純粋な気持ちで、
両手を合わせていた。
“神頼み”をしたとき、
「自分でできるだけのことをした。神様助けてください!」
という頼みなのか、
「することもせずに、都合の良いときだけの神頼み」
なのか、
自分はよくわかっている。
ある人から言われた。
“人事を尽くして天命を待つ”
という「真の願い」は、必ず叶う
でも、その叶い方は、
自分が思っているタイミングやイメージとは異なる場合が多い。
だから、「願いが叶っていない」と思い違いをしてしまう。
雑念、欲の無い心は、
いつも宇宙とつながっている
そのときは気付かなくても、
大きな観点から、
神頼みは、いつも叶っている
ロサンゼルス不動産 出相 ◎DEAI TEAMのホームページ
毎日の生活は、人と人との関わり合いで成り立っている。
そんな中で、
難しい人、
筋が通っていない人、
いつも問題を起こす人、
との遭遇も現実としてたまにある。
私も最近、公私共にそういった人たちとの遭遇があり、
いろいろと考えさせられた。
どうして、あの人は、
▶ 無茶苦茶なことを平気でするのか?
▶ いつも、文句、言い訳、人のせいなのか?
▶ 客観性、公平性、反省というものがないのか?
自分が過去に同じことをした時の状況も思い出しながら(汗)、
“どういう共通点があるのか?”
と考えていた。
論理もなければ、筋も通っていない言動
反省も感謝もない態度
自己の正当化に徹する言い分
そして、
やっと、少し見えてきたことがある。
そういう人たち(過去の自分も含め)の共通点がある。
自分のすべきことはせず、すべて棚に上げ
自分の落ち度を指摘されようものなら、感情的になって筋の通らない反論と正当化
それでいて、権利だけは一方的に主張する
一般常識が通用しない相手。
これは手強い。
まともに対応すると、
その“自分勝手エネルギー”に吸い込まれて、
こっちがストレスでやられてしまう。
あなたもそんな体験ありませんか?
責任を取らない人
自分の落ち度を認めない人
権利だけ主張する人
これは、
以前このブログで書いた「魂の年齢」がすごく幼い人の典型例。
同じ事を3歳の子供にされても大人が激怒しないですよね?
そうなんです。
そういう人との関わりで、自分がストレスで具合悪くならないようにする
一番の方法は、
「魂の年齢の幼い人」
と受け止めること。
それによって、感情的にならずに済む。
もっと距離をあけた関係への切り替え、
もしくは、その人との関係自体を辞める。
責任を無視して、権利だけ主張する人は、
この世で最も“魂の幼い赤子”に属する。
泣き喚く赤子と喧嘩をする大人はいない。
その“赤子”を自分が育てるつもりなら別として、
(育てようとして墓穴を掘った人を沢山知っていますが)
そうでなければかかわらないほうがいい。
そして、、、
自分が”赤子”になっていないか?
”人の振り見て我が振り直せ”
自問をいつも忘れない。
元赤子より、
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一度で終わらせようと無理して沢山の荷物を抱えたところ、
バランスを崩し、それらが落ちて全部壊れてしまった。。。
急いでいたので近道を通ろうとしたら、
迷って余計時間がかかってしまった。。。
早く結果を出したくて基礎をしっかりと学ばずに仕事を始めたら、
大きなミスを犯し取引先の信頼を失った。。。
似たような体験は誰にでもある。
時間、労力、手間をセーブしようとして、
かえって、より多くの時間、労力、手間がかかってしまったこと。
“急がば回れ”
という日本の諺がある。
時として、
急ぐからこそ、
必要な時間、労力、手間をかけて、
しっかりと終わらせる。
一見、遠回りに見えて、
実は一番の近道ということがある。
今、あなたの生き方は、
“本当に大切なこと”
をスキップしていませんか?
「遠回り」をしてみるときかも知れない。
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“失敗は成功への布石である”
よく聞く言葉。
そのとおりだと思う。
しかし、、、
ここで勘違いしてはならないこと。
「その“失敗”から何かを学べば」
という条件付きでのこと。
何度も同じ“失敗”を繰り返し、
それなのに、
文句、言い訳、人のせい
何も学ばない、何も気付かない、
それこそ正真正銘の「失敗」。
私は、
この正真正銘の「失敗」ばかりだった。。。
遅まきながら、
何も学ばなかった、何も気付かなかった、
文句、言い訳、人のせいにばかりしていた、
ということにやっと気付き、
沢山積もってしまった正真正銘の「失敗」を
今更ながら、
無理やり、
悪あがきのごとく、
「成功への布石」
へ変えようとしている。
もう遅すぎるのかも知れない。。。
でも、
これ以上、
何も学ばす、何も気づかず、
文句、言い訳、人のせい、
という偉大な「失敗」の山を大きくすることはできない。
もう遅すぎるのかも知れない。。。
でも、
もしかしたら、少し成功への布石にできるかも知れない。
もう遅すぎるのかも知れない。。。
例え遅すぎたとしても、
今までと同じことはできない。
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下記はしばらく前に誰かから聞いた格言です。
(誰の言葉か覚えていませんが、汗・・・)
ひとつひとつ心に響く。
ひとつひとつ耳が痛い。
身が引き締まると同時に勇気が出てくる。
変化球は使わずに、
正面から直球を投げる生き方をつづけたいと思う。
*********
実力の差は努力の差
実績の差は責任感の差
人格の差は苦労の差
判断力の差は信念の差
真剣だと知恵が出る
中途半端だと愚痴が出る
いい加減だと言い訳ばかり
本気でするから大抵のことはできる
本気でするから何でも面白い
本気でしているから誰かが助けてくれる
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“とるに足らないもの”
という例えで使われる言葉。
塵も積もれば山となる
とるに足らない些細なことでも、積もる(継続する)と大きな違いになる
という衆知の諺。
私の過去のブログで、
知っているだけでなく、考えているだけでなく、
行動を起こすことの大切さ、
について何度も書いてきました。
(自分の足りない部分へのリマインダーですが・・・)
人生では、思い切った大きな行動も大切ですが、それは毎日できることではない。
日々の“とるに足らない些細なこと”の積み重ね、の力は想像を遥かに超える。
あなたは、毎日どんな「塵」を積もらせていますか?
自分では特に意識していない、ちょとした習慣や思考回路や癖などが、
何日、何ヶ月、何年、、、とつづいて、
山をつくる。
塵のうちは吹けば飛ぶが、
山になってしまうと、それを崩すのは大変なエネルギーが必要となる。
あなたの“塵が積もってできた山”を見て、
とるに足らないことの大きな力を感じてみてください。
そして、
今日から、「塵」を少し変えてみる。
食生活ですか?
起床時間ですか?
エクササイズですか?
口から発する言葉ですか?
姿勢や顔の表情ですか?
何でもいいんです。
でも、絶対に大きな変更はしないでください。
とるに足らないこと、
というレベルに徹してください。
その代わり、その小さな違いを積もらせる(継続する)
数日後、数カ月後、数年後が楽しみです。
とるに足らないもの、些細なこと、を大切に。
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この言葉、聞いたことありますよね。
誰でも程度の差こそあれ自分の中に持っている存在です。
子供の時に体験した、
愛情の欠如、いじめ、争い、裏切り、虐待、などの衝撃的な出来事。
その未解決の心の傷が、大人になった今でもトラウマとして生き続けている。
このInner Childは、顕在意識とは別の潜在意識の中に隠れているそうです。
そして、その傷に触れるような出来事や状況に遭遇すると、
突然表に現れ、いつもの自分とは別人のような言動を引き起こす。
その言動は、人に対し、自分に対し、破壊的な性質を持つ。
これは無意識に条件反射的に起こるため、抑制することが難しい。
私は(自分の経験からも)、大切な人との関係が悪くなるとき、
自分の中にあるInner Childが原因となっていたように思う。
時として、自分のInner Childが相手のInner Childを引き出し、火に油を注ぎ合う手に負えない状態に陥ることすらあった。
幸せな人生を送るためには、絶対に解決しなければならない。
最初のステップは、、、
自分の潜在意識の中に“未解決の心の傷”があるということを認めることから始まる。
そして、、、
自分の幼少期に遡り、どの体験がそれを引き起こしたか?を客観的に考えてみる。
その原因となった人や出来事に対して、怒り、悲しみ、後悔、
という感情になることを抑えずそのまま受け止める。
次に、、、
それに関わる人や出来事を責めることはしない。
心が病んでいる人の行為、コントロール外の出来事であったことを冷静に理解する。
その上で、
今はもう大丈夫、もう自分はその状況から脱したことを自分へ知らせる。
Inner Childがいることを認め
原因を探し
人や出来事を恨まず
自分はそこからすでに開放されていることを理解する
Inner Childは、致命傷となり得る心の伝染病です。
自分も他の人から感染された可能性が大きい・・・思い当たりますよね?
放置しておくと、周囲の人、特に子供の心に同じ種を植えてしまう。
自分だけの問題ではないんです。
同じ伝染病を持つ私からのお願いです。
あなたを苦しめた種を、無防備の子供たちの心へ植え付けないでください!
あなたのInner Childと今向き合ってください!
ここで伝染をストップさせてください!
私は今からそれをします。
責任ある大人として、
自分のところで伝染を止めなくてはならない。
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誰の人生にもある「雑草」
面倒なこと、やっかいなこと、触れたくないこと、
いつもは顔を背けて見ないようにしているが、そこにあるのはわかっている
緊急性がないので、「そのうちに・・・」と先延ばし
雑草は、その間に消えて無くなることはない
やがて、その雑草は、
背丈ほど大きくなり、顔を背けることができなくなる日が来る
仕方なく引き抜こうとすると、
想像より、深く太く地下へ根ざしていることに気がつく
先延ばしにしている間に、その雑草は自分では手が負えないほど頑強になってしまった
こんな経験ありませんか?
こんな事態が進行していることを密かに怖れていませんか?
みなさんも耳にしたことがあると思います。
「人生を豊かにするためには、“緊急でないが重要”なことを優先させる」
雑草は、緊急性がない
でも、自分で抜き取らない限り、消えて無くなることはない
顔を背けている間に、どんどん大きくなる
そして、
いつの日か、自分の人生の大きな妨げになる
人生を豊かにする秘訣は、
面倒で、やっかいで、触れたくないこと、
の中に隠されているような気がする
人生の“雑草”と向かい合うときは「今」
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自分の人生を振り返り、
また、身近な人の人生を見て、
良いことも、そうでないことも、
自分のしたことは回り回って自分へ返ってくるって、
本当なんだなぁー、、、
とつくづく思う。
この基本は、
絶対に外せない
自己中心的な行為
損得勘定
人を傷つけること
などが、
道徳上良くない、
ということだけでなく
いかに愚かなことか、
がよく見えてくる
過去の自分を振り返り、
赤面することの多いこと。。。
だから、毎日の生活で、
辛い、とか
嫌だなぁ、とか
ムカつく、とか
感じるとき、
「自業自得、自業自得」
と自分へ言うようにしている。
自分が蒔いた種を、自分で刈り取るのは自然の摂理なわけで、
そこを理解できないと、
文句、言い訳、人のせい
という好ましくない種を、また蒔くことになってしまう。
雑草の種を蒔いて、
「何故バラが咲かないのか?」
と悩んでいたのは、何を隠そう私でした。
悩んでいないで、
怒っていないで、
落ち込んでいないで、
一緒に良い種を蒔きましょう。
自らの業も、自らの得も、
すべて自分で作っている
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あなたの短所は何ですか?
という質問を受けたことがある人はほとんどいない。
また、客観的に自分の短所を理解しようとする人もいない。
人間は自己顕示欲やエゴがあり、
少しでも他から良く思われたり、認められたり、褒められたり、したいもの。
そのために短所は隠し、実際より良い人、すごい人、偉い人、
という“外の顔”を無意識に作ろうとしている。
でも、それは虚勢でしかなく、
いつかはバレる。
自分の短所を知ることは、長所を理解することと同じくらい大切。
短所を知り、それらを改善することで、長所が驚くほどパワフルになる。
だから、短所は「宝」。
蓋をしてしまったら、「宝の持ち腐れ」になる。
この宝を腐らせるか、光らせるか、
虚勢の人生を送るか、地に足の着いた人生を送るか、
短所という、“触れたくない部分”と向き合える人には、
想像を超えるご褒美が待っている。
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