今までの人生で、
差別をしたことも、
受けとことも、
あるはず。
差別の原因は、ほとんどの場合、
その人のコントロール外の要素であることが多い。
> 人種や文化
> 宗教や思想
> 性別、年齢
> 外観、性格、立ち振舞
> 心身の障害
> 生い立ちや生活環境
> 学歴
などなど、、、
私は強い表現をすることはほとんど無くなったが、
ここでは、はっきり言いたい。
差別をすることは人間として最低の行為
差別をする人は自分を人間として最低のレベルへ下げている
私も差別をしたことがある。
自分が差別を受けて、初めて差別がいかに愚かなことかがわかった。
我々人間は、
見た目(サイズ、色、形、立ち振舞)も、
中身(性格、適性、身体機能や障害も含め)も、
育った環境も、
性別(同性愛を含め)や年齢も、
学歴や物事を学ぶ能力も、
信仰や信念も、
まったく同じ人はこの世にひとりとしていない。
だからこそ、
それぞれが唯一の存在として希少であり、価値がある
自分と異なるから・・・
見た目が滑稽だから・・・
考え方や態度が違うから・・・
環境が良くないから・・・
一部の能力が劣っているから・・・
すべてに同意する必要はない、
それぞれを肯定しなくてよい、
だが、
違う、という理由で否定することは誰にもできない
今朝、海へ行った。
砂浜で砂を手に取ってみた。
そこには、
様々な色や形をした石、貝殻や珊瑚の破片など、
どれひとつとして同じものはない。
あなたも砂を手にとって見れば、
それぞれの異なる美しさに魅了されるはず。
我々は砂浜にある一粒の砂と同じだと思った。
異なる“個”が集まって素晴らしい全体を形成する。
我々は、
“違い”を尊重し共存共栄する集合体
差別がなくなったとき、
この世に真の平和が訪れる
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