通常「年齢」と言うと、
我々が“この世に生を受けてから経過した時間”を指すことが多い。
同じ時間が経過しても、健康管理によって“肉体年齢”に大きな差が生じるのは衆知の事実である。
同じ時間が経過しても、その人の生き方や考え方によって“精神年齢”に顕著な違いが表れることは皆さんも感じていることと思う。
これら3つの「年齢」の存在については、一般的に理解されている。
実は、
もうひとつ大切な「年齢」がある。
今生で経過した時間とも、
肉体的な若さとも、
精神的な落ち着きとも、
一線を画する年齢。
私は、それを
「魂の年齢」
と呼んでいる。
これは宗教的なコンセプトではなく、哲学的コンセプトである。
(私は宗教の信仰はしていません。同時に宗教を否定もしていません)
私は宗教とは関係なく、哲学的に輪廻転生を信じている。
また、輪廻転生なしに人生を根底から理解することはできないと感じている。
魂の年齢は、
その人が持っている“利己と利他の割合”で計ることができる。
いつも自分のことばかり、
目先の損得で行動する、
許容力も包容力もない人、
これは今生の年齢とは関係なく、輪廻転生が少ない=魂がまだ幼い人たち
一方で、
いつも他人のことを思い、
損得勘定でなく、
他を許容し、包容できる人、
これは今生の年齢とは関係なく、輪廻転生が多い=魂が成熟している人たち
どちらが偉いということではないんです。
小学校一年生と六年生を比較することに意味がないのと同じ。
誰でも一年生を経たから六年生になれている。
今生の年齢とは関係なく「魂の年齢」という観点で、
自分の周囲の人たちを見回してください。
なるほどぉ。。。
と気付きますよね。
今生の年齢が若いのに立派な人。
逆に、いい年をしていつまでも子供じみている人。
親より子供の方が確実に魂の年齢が高いケースも多々ある。
「あの家族は親がダメなのに、子供は立派だ。トンビがタカを生むとはこのことだろう・・・」
魂の年齢があることを理解できれば・・・
3才の子供に何をされても大人が激怒しないように
“魂の幼い” 自己中心的な言動に感情的になることも少なくなる。
「自分も以前はそうだったはずだ(今でも?)」、
と思えば怒りも収まり、冷静に対応できるようになる。
それは自分の精神年齢を高め、
結果として今生を過ごしたことによる魂の年齢もさらに成長することにつながる。
わかったような口調で書いている私こそ、
平均値より優れているのは肉体年齢だけ(汗;)
まだまだ利己が多く、利他が足りない・・・
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