USSレキシントン博物館に展示されていた日章旗を見せる、同館のスティーブ・バンタ館長(右)と、遺族への返還の橋渡しを務めるNPO「OBONソサエティ」のレックス・ジーク共同代表=東京都千代田区の日本記者クラブで
東京都千代田区の日本記者クラブで27日、これまで600枚近い日章旗を遺族に返還してきた米西部オレゴン州のNPO「OBON(オボン)ソサエティ」と、退役空母を改装して太平洋戦争にまつわる品などを展示する米南部テキサス州の「USSレキシントン博物館」の関係者が記者会見を開き、返還を明らかにした。
博物館によると、日章旗は開館2年後の1994年から額縁に入れて展示しており、入手経緯は不明。敏弘さんによると、博物館で日章旗を見かけた人が写真を撮影、専門家の分析を経て父・繁義さんの遺品ではと連絡があったという。
敏弘さんから今年4月、出征前の繁義さんと署名入り日章旗を写した写真などを受け取ったオボンソサエティが、博物館に協力を依頼。博物館が日章旗を額縁から出し、文字の見え方を確認したところ「完全に一致」し、返還を決めた。
◆「旗の意味を知り、私たちの手元にあるべきでないと理解した」
会見したスティーブ・バンタ館長は「(展示していた)29年間、旗に込められた意味が分からなかった。その意味や家族が返還を希望していると知り、私たちの手元にあるべきでないと理解した。あるべき場所に返すことができ、光栄に思う。返還を通じ、日米の平和友好関係を促進できることを願っている」と話した。
敏弘さんは「父が出征したのは、私が4歳くらいの時。父の印象はあまり残っておらず、日章旗があることは知らなかった。旗が残っていたこと自体奇跡で、父の帰りたいという願いがずっとあったのだろう」と話した。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/265938?fbclid=IwAR0BsN9PC3Ik9aTNljS_amxwcDS9xKG-kPC0-vINyhKZ9J40nAg5fSMe3vs
【松前】太平洋戦争末期に多くの住民を巻き込んだ1945年(昭和20年)の沖縄戦で戦死した鈴木秀二さん(享年38)が戦地で持っていた日章旗が、戦後78年を前に町内在住の遺族の元に返還された。旧日本兵の遺品返還に取り組む米国のNPO法人「OBONソサエティ」の仲介で実現した。長男の一弘さん(86)は「父親の形見がひとつもなかった。うれしい」と話した。
同団体や遺族によると、秀二さんは留萌市出身。旧陸軍第24師団輜重兵(しちょうへい)として、武器や弾薬などの運搬を担当していたという。旧日本軍が組織的な戦闘を終えたとされる6月23日の2日前の21日に死亡した。最期の様子は分かっていない。
今月26日に町役場で行われた返還式には、遺族7人が出席した。一弘さんと妻の玲子さん(83)が石山英雄町長から日章旗を受け取った。縦約65センチ、横約80センチの旗には「必勝」「大和心」などの寄せ書きが記され、出征時に渡されたとみられる。一弘さんは「優しい父だった」と在りし日の姿に思いをはせ、玲子さんも「夢のよう」と涙ぐんだ。日章旗は自宅の仏壇に供えるという。
日章旗は、沖縄戦に参戦した元米国陸軍大佐が持ち帰った。その後、孫が旗に込められた思いを知り、2020年に同団体に返還を依頼した。直後に連絡を受けた札幌在住の同団体スタッフの工藤公督さん(48)が留萌市内などで調査を開始。60年ほど前に松前町の企業に就職し、現在も町内で暮らす一弘さんの存在を知り、1カ月ほど前に連絡した。
一弘さんは小学校入学前に秀二さんと別れ、「連絡が来た時はびっくりした。工藤さんや団体には感謝しかない」と話した。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/884427
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