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【Air University Public Affairs】Air University repatriates WWII era Japanese flag

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Col. Ryan Stebb... Col. Ryan Stebbins, the 42nd Air Base Wing’s Force Support Professional Development School director, and Japanese Col. Hirokazu Honda, an Air War College student, pose for a photo with a Japanese “Good Luck Flag” at Maxwell Air Force Base, Alabama, Sept. 16, 2024. The Yosegaki Hinomaru (Good Luck Flag) was commonly carried by Japanese soldiers in WWII while going into battle. (U.S. Air Force photo by Senior Airman Evan Lichtenhan) A portrait of U.S. Army Cpl. Ar... A portrait of U.S. Army Cpl. Arthur G. Thompson. Thompson brought home a Japanese flag that he found after the Battle of Luzon in the Philippines, that is now in the process of being repatriated. (Courtesy photo) A World War II ... A World War II era Japanese “Good Luck Flag” displayed at Maxwell Air Force Base, Alabama. Sept. 16, 2024. The Yosegaki Hinomaru (Good Luck Flag) was commonly carried by Japanese soldiers in WWII while going into battle. (U.S. Air Force photo by Senior Airman Evan Lichtenhan)
MAXWELL AIR FORCE BASE, Ala. --  Like many World War II veterans, U.S. Army Cpl. Arthur G. Thompson, serving with the 117th Engineer Regiment, returned home with souvenirs from his time at war. Among them was a Japanese flag that he found after the Battle of Luzon in the Philippines.
 
As years passed, Thompson often expressed his desire to find the family of the Japanese solider who carried it into battle, but not knowing where to begin, it continued to be passed down for two generations, and has most recently been in the possession of his granddaughter Sarah and her husband, Col. Ryan Stebbins, the Eaker Center for Leadership Development Force Support Professional Development School director.
 
“Since I am the only service member in the family, the flag was given to us,” said Stebbins. “When we got stationed at Air University, Sarah decided to contact the historian to see what he could recommend with the flag. After considering many options, it became clear that we wanted to honor Cpl. Thompson’s wishes and try to repatriate it back to Japan.”
 
Although the decision to repatriate was fairly easy, locating the recipient proved to be a challenge. Mr. David Bonner, the Air University historian responsible for coordinating the repatriation, met with Japanese Col. Hirokazu Honda, an Air War College student, to translate the information on the flag. 
 
“I am very honored to join this project,” said Honda “Because for us, our military members, at that time we were enemies. He served for his country, same as us. It has special meaning, that flag, and it has a meaning of good luck, both in war and a wish to come home safely. The war was a hard time, but this flag coming back to his society, it will be a very happy day.”
 
The flag was identified as a “Good Luck Flag.” During the Pacific War, it was common for Japanese soldiers to carry a Yosegaki Hinomaru (Good Luck Flag) or a Senninbari (Thousand Stitch Band) when going into combat. The four kanji characters at the top of the flag are roughly translated as “May your fortunes be everlasting.”
 
Honda was able to quickly identify the soldier as Shinyo Huruyasiki, and noted that his home in Japan was easy to identify as his name is unique to a specific region in his homeland. Once identified, Bonner found a nonprofit that assists with the repatriation process.
 
“I will be sending the flag to The Obon Society,” said Bonner. “It’s a nonprofit organization that specializes in repatriating Japanese war memorabilia. They were recommended by both the National Infantry Museum and the Japanese Embassy.” 
 
Thompson’s family feels grateful that after nearly 80 years, the family of Shinyo Huruyasiki will once again possess an important and special piece of history.
 
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【滋賀県】滋賀県三日月知事が定例記者会見

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【滋賀県】滋賀県三日月知事が定...
滋賀県三日月知事が定例記者会見にて訪米視察時にOBONソサエティ本部を訪問された時のことをお話しされています。

ーーOBONソサエティとの交流、これはもちろん滋賀県だけにとどまるものではありませんが、戦争遺留品を返還する活動をしていただいている、させていただいていることを、ぜひ今後さらに促進させていくために、さらにどういったことをしなければならないのかなというような有意義な意見交換をすることができました。この日だけでも数点、レックスさん御夫妻のもとに全米から寄せ書き・日の丸等が届けられる。多い時だと、年間数百点届けられるものをどのように還していこうかと、御本人を特定して、御遺族の御理解を得てと、ここにはやはり米国各州のそして国内各都道府県の協力が重要なのではないかと、こういったことで一致をいたしまして、今後、全国知事会などでもこういった取組についてさらに理解が広がるように努めていきたいということをこの場で表明させていただきましたので、そういったことに繋げていきたいと考えております。ーー
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【山陰中央新報・鳥取】 父の形見の日章旗、返還 長男・火山司さん涙/SANINCHUOU - "The Return of My Father's Keepsake: The Japanese Flag - Eldest Son, Tsukasa Hiyama, in Tears"

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【山陰中央新報・鳥取】 父の形... 【山陰中央新報・鳥取】 父の形... 【山陰中央新報・鳥取】 父の形...

太平洋戦争時、米陸軍兵士が持ち帰った日章旗の持ち主が、鳥取県日南町出身の旧日本軍陸軍兵士で戦死した火山(ひやま)行一さんと判明した。25日に同町であった返還式に参加した遺族は、火山さんが出征した日に生まれたという長男の司さん(81)=米子市上後藤4丁目=。顔を知ることができなかった父の形見に触れ「これからじっくりとかみしめたい」と感無量の様子だった。

 火山さんは21歳だった43年7月に出征。陸軍の独立戦車第一旅団砲兵隊に所属し、45年8月17日、旧満州の奉天市(現在の中国・瀋陽市)付近でのソ連軍との戦闘で戦死した。

 日章旗は、米兵が何らかのいきさつで米国に持ち帰り、自宅に保管した。譲り受けた孫が2017年、遺品の返還活動に取り組むオレゴン州の非営利団体「OBON(オボン)ソサエティ」に、遺族の捜索と返還を依頼した。

 日本遺族会の協力による同団体の調査では当初、武運長久の願いを託された旗の持ち主とみられる「火山」という名字が福岡県に多いことから、九州地方を中心に捜索。発見に至らず一時中断していた。

 その後、寄せ書きをした主の名前に「相見」や「八司」といった鳥取県西部にある名字が認められ、的を絞った結果、今年4月、司さんにたどり着いた。

 同町霞の町役場であった返還式には、遺族や来賓など約30人が出席。日章旗は中村英明町長から司さんへと手渡され、司さんは涙ぐみながら受け取った。これが唯一の遺品だといい「父親が当時何を思っていたのか想像してみたい」と語った。
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【TV大阪】79回目の終戦の日 旧日本軍兵士の日章旗が大阪へ 8月15日が問いかけるもの/79th End-of-War Day: Former Japanese Soldiers' Rising Sun Flag Goes to Osaka

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【TV大阪】79回目の終戦の日... 【TV大阪】79回目の終戦の日...
≪旧日本軍兵士の日章旗が大阪へ≫
終戦から79年を迎えるこの夏、ある日本軍兵士の遺品が大阪に戻りました。戦地に向かう大切な人の無事を祈り、名前が書き込まれた日章旗です。
 
旗の持ち主は岡部辰美さん。旧陸軍が強行した無謀な作戦として知られるインパール作戦に動員され、終戦間際の昭和20年6月、ビルマで命を落としました。戦後、遺族のもとに辰美さんの遺骨として届けられた箱の中には小さな石がひとつだけ。戦地からの遺品はそれだけでした。
 
辰美さんがとても大切にしたであろう、良好な保存状態の旗は、ビルマ戦線で砲火を交えたイギリスの兵士が持ち帰った物で、7月、その兵士の孫から返還されました。
 
【岡部さんの長女】「(父の)日章旗を返還していただいて本当に喜んでいる、母も喜んでいると思う」
 
いまも 100万人以上の兵士の遺骨が現地に残されたままです。長い時を経て帰国を果たした兵士の旗は、終戦79年を迎えた日本に「戦後」がまだ続いていることを訴えかけています。
 
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公開捜索【京都新聞】80年前戦禍に散った甲子園優勝投手の遺品見つかる 京都府代表・龍谷大平安右腕 遺族どこに/The Yosegaki flag of champion pitcher who was killed in the war 80 years ago have been found.

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天川清三郎さんが持っていたとみ... 天川清三郎さんが持っていたとみられる日の丸の旗(OBONソサエティ提供) 天川清三郎さん(平安中卒業記念... 天川清三郎さん(平安中卒業記念アルバムより) 平安中の初優勝を伝える当時の京... 平安中の初優勝を伝える当時の京都新聞紙面
《公開捜索》【京都新聞】【プロ野球】

OBONソサエティは現在、日本遺族会、京都府遺族会と合同で「天川清三郎」命のご遺族を公開で捜索しております。天川清三郎 命は従軍前は「甲子園優勝投手」そして「南海軍のプロ野球選手」でした。お心当たりのあります方がいらっしゃいましたらご連絡頂けますと幸いです。

ー80年前戦禍に散った甲子園優勝投手の遺品見つかる 京都府代表・龍谷大平安右腕 遺族どこにー

甲子園球場で球児たちが熱戦を繰り広げている全国高校野球選手権大会。戦時下の86年前の夏に京都代表として悲願の優勝を遂げた右腕で、後にプロ野球選手となるも、戦禍に散った元球児の遺品が見つかった。チームメートが寄せ書きした日の丸の旗だ。

 旗の所有者は、平安中(現・龍谷大平安高)の天川清三郎さん。直球とスローカーブを投げ分けて打者を翻弄し、エースとしてチームをけん引した。

 当時の京都新聞紙面によると、1938年8月21日、甲子園球場で行われた全国中学優勝野球大会(現在の高校野球選手権大会)の決勝では「柔よく剛を制す快投」を披露した。1点をリードされた最終回には打者としても出塁し、優勝を決めるサヨナラ勝ちのホームを踏んだ。

 翌年にプロ野球の南海軍(現・ソフトバンクホークス)へ入団したが、わずか1年あまりで召集された。1941年、第16師団歩兵第9連隊第2大隊に所属し、南方戦線へ。1944年、フィリピン・レイテ島での激戦で、24歳の若さで亡くなった。

 日の丸の旗は、交戦した米兵が持ち帰ったとみられ、その遺族が戦争遺品の返還に取り組む米NPO「OBON(オボン)ソサエティ」に相談。京都府遺族会が昨年11月から協力し、調査を続けているがいまだ遺族は見つかっておらず、情報を募っている。
 
京都府遺族会075(393)6050=月・水・金の午前11時~午後3時。
 
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プレスリリース/鳥取県日南町で日章旗返還式を開催します。/Press Release / Nichinan-cho, Tottori Prefecture to Hold Nissho Flag Returning Ceremony

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プレスリリース/鳥取県日南町で... プレスリリース/鳥取県日南町で...
OBONソサエティは来たる8月25日に鳥取県日南町で執り行われます「火山行一」命日章旗返還式についてプレスリリースを配布致しました。取材にご興味のあるマスコミ関係者がいらっしゃればご連絡を頂ければ幸いです。
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【両丹日日新聞】魂宿る日章旗、戦後79年経て娘の元へ 戦死の三和出身兵/The Japanese Flag, which holds the soul of a soldier from Sanwa who died in the war

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【両丹日日新聞】魂宿る日章旗、...
魂宿る日章旗、戦後79年経て娘の元へ 戦死の三和出身兵

 
 1945年にビルマ(現ミャンマー)で戦死した旧日本陸軍兵、岡部辰美さん(享年30)の寄せ書き入りの日章旗が、7月に大阪市内の遺族に返還された。辰美さんの本籍地が京都府福知山市三和町芦渕だったことから、遺族探しに地元の岡部一稔さん(88)が全面協力。居場所の特定に結びついた。大阪での返還式に招かれ、遺族らと喜びを分かち合った。
 
 日章旗は縦73センチ、幅90センチで、「祈武運長久」の文字とともに、167人の名前が寄せ書きされていた。出征前に辰美さんが勤めていた京都市の洋服店、取引先の関係者によって書かれたとみられる。
 
 これを戦地から持ち帰ったのは元英国兵で、その孫のルーイズ・フェンさん(50)が長年保管していたといい、日章旗を返還することが、戦没者の魂が家族の元へ帰ることを意味すると知り、2020年に返還することを決意した。
 
 それから戦没者の遺品返還に取り組む米国オレゴン州のNPO「OBONソサエティ」に依頼。捜索から3年以上の歳月を経て、終戦から79年の今年、大阪市内に住む長女の岡部芙佐子さん(86)ら遺族の元に届けられた。
 
 無事に返還がかなったのは、一稔さんの存在が大きい。辰美さんの本籍地の芦渕周辺で同じ岡部姓宅に、ローラー作戦で電話をしていた同NPOの遺族捜索担当者から今年2月に話を聞き、「力になれるのなら」と協力を申し出た。
 
 担当者から伝えられた本籍地の住所を調べたところ、一稔さんと同じ岡部株の憲次さんが、明治から大正にかけて、住んでいた場所だった。
 
 憲次さん一家は大阪に移住し、製菓店を営んでいたことも知っていて、跡を継いでいた孫の友彦さんとも親交があったことから、「何か分かるかも」とすぐに電話をかけた。
 
 辰美さんは憲次さんのおいで、娘の芙佐子さんが健在であることも判明。3年以上遺族が見つからず、止まっていた時計の針が、一稔さんの手によって動き出した。
 
 そして7月14日、大阪護国神社(大阪市)で返還式が行われた。日章旗を受け取った芙佐子さんは「帰ったら仏壇に供えたい。母も喜ぶと思います」と目を細め、「心に区切りをつけられ、安らぎがもたらされるよう願っています」とのフェンさんのメッセージも読み上げられた。
 
 式に出席した一稔さんは「祖国や家族のことを思いながら、辰美さんは戦地で悲運な最期を遂げられました。魂が宿った日章旗が祖国へ戻り、愛しい娘さんに会えて本当に良かった。その返還のお手伝いができてうれしい」と笑顔を見せた。
 
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【読売・京都】父の日章旗 おかえり/【Yomiuri NP・KYOTO】Father's Day Flag Welcome Home

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【読売・京都】父の日章旗 おか... 【読売・京都】父の日章旗 おか...
綾部出身 ビルマで戦死 79年かけ娘らの元へ
 
 
八坂神社のご朱印 手がかり
 
 
 第2次世界大戦中にビルマ(現ミャンマー)で亡くなった綾部市出身の旧日本兵、岡部辰美さんが持ち歩いていた日章旗が14日、遺族に返された。英兵が持ち帰り、その家族が返還先を探していた。八坂神社のご朱印が手がかりとなり、返還にこぎ着けた。(松田聡)
 
 岡部さんは京都市に移り、洋服店で働いていた。召集で「祭兵団」といわれた第15師団に所属。「祈 武運長久」との筆書きと、167人分もの署名がある日章旗を持って戦地に。大勢の犠牲者が出たインパール作戦に動員され、終戦間際の1945年6月、タイ入国前に亡くなったとされる。
 
 英兵の家族が戦後75年を特集したテレビ番組を見て、日章旗には戦場での無事と活躍への祈りが込められていると知り、日章旗返還に取り組む米国のNPO「OBONソサエティ」に連絡した。
 
 同NPOの遺族調査は難航したが、旗に八坂神社のご朱印があったことから、京都にゆかりがあると推測。本籍地の旧細見村(現福知山市)に同姓の人がいるとわかり、その人から、遺族が大阪市にいるとの情報がもたらされた。
 

 
 
 大阪市住之江区の大阪護国神社で14日、同NPOは長女の芙佐子さん(86)らに日章旗を返した。芙佐子さんは日章旗を手に「亡くなった母が喜ぶでしょう。仏壇に供え、孫にも見せたい」と話した。
 
 芙佐子さんによると、召集される前日、銭湯に連れていってもらったという。「(父は)洋楽が好きでレコードを聞いていたようでした。コーヒーを飲み、ビリヤードやスキーもしたと。亡くなった後、母(あい子さん)が骨箱を、私は写真を持って歩きました」と振り返った。
 
 同NPO共同代表の敬子・ジークさん(56)は「店や取引先の人たちが旗に願いを込めたのが伝わってくる。79年をかけ、家族の元に戻りたいという岡部さんの思いがかなえられてよかった」と話した。
 
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【中外日報】遺品返還式が契機 繋がりを再構築/【Chugai-Nippou】The return ceremony for the father's flag was an opportunity to reestablish ties.

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【中外日報】遺品返還式が契機 ...
※7月14日に大阪護国神社にて執り行われました「岡部辰美」命の日章旗返還について「中外日報」が記事を掲載して下さいました。文中にOBONの返還数が400とありますが、現在は700を超え、返還数は日々増え続けております。
 
他のメディアと違う視点で記事を書いて下さった中外日報さんにはとても感謝いたしております。
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【朝日新聞】30歳で戦死、遺骨も見つかっていない父 79年経て家族のもとに…/Father killed in battle at age 30, no remains found, 79 years later, he joins his family...

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【朝日新聞】30歳で戦死、遺骨... 【朝日新聞】30歳で戦死、遺骨... 【朝日新聞】30歳で戦死、遺骨... 【朝日新聞】30歳で戦死、遺骨...
ミャンマーで戦死した日本人兵士の日章旗が、持ち帰った英国兵の遺族から79年を経て、返還された。

 大阪市住之江区の大阪護国神社で14日、各地で見つかった日章旗の持ち主を探して返す米国のNPO「OBONソサエティ」による慰霊祭と返還式があった。

 返還されたのは、元英国通信兵の遺族が保管していた、岡部辰美さんの日章旗。岡部さんは、多くの兵士が飢餓や病気で亡くなったインパール作戦に参加し、1945年6月にビルマ(現・ミャンマー)で戦死したとされる。遺骨は見つかっていない。

 実家が営む京都市の洋服店に勤めていた。38年に歩兵として中国などに送られ、2度目の召集で帰らぬ人となった。30歳だった。

 日章旗には、岡部さんの名前があり、洋服店の従業員らと思われる人々の名前が寄せ書きされていた。

 受け取った長女の芙佐子さん(86)は「亡くなった母の墓前で見せ、仏壇に供えたい」。三女の蓉史子さん(79)は「皆さんに助けられながら過ごしてきた。父の遺品を見られてうれしい」と話した。

 遺族捜しに協力した大阪府遺族連合会の岡倉三郎会長(88)は「紛争で今この瞬間も罪のない命が失われ続けている。戦没者遺族にしか語ることのできない戦争の悲惨さ、平和の尊さを一人でも多くの方に伝えたい」と語った。
 
 
 
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