日本航空123便の墜落事故は、1985年8月12日18時56分に、日本航空(現:日本航空インターナショナル)123便、東京(羽田)発大阪(伊丹)行、ボーイング747SR-46(ジャンボジェット、機体記号JA8119)が、群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落した事故である。 しかし、墜落した正確な時刻の把握は事故から数日後である。 私がその事故にニュースを知ったのは、事故の翌日1985年8月13日早朝、ゴルフに出掛ける時であった。内容は、日本航空123便が消息を絶ったと言う報道のみであった。 そしてゴルフをしている午後1頃、プレー中に自衛隊の大型ヘリがゴルフ場のすぐ近く、北側の上空を次々と飛行している情景を目にした。 クラブハウスに戻った時、日本航空123便は隣県群馬県御巣鷹山に墜落したとの報道であった。 事故機の墜落現場は、埼玉県・群馬県・山梨県が隣接する県境であった。 私はその時、埼玉国際と言うゴルフ場にいたのである。 ゴルフ場にいたからどうなんだと言う特別な理由は無いが、自衛隊の何台ものヘリが往復している光景を見て、その時何故ヘリが頻繁に往復しているのかが分からなかったが、救出の自衛隊員を輸送していたのであろう。 その光景を見てから、25年の私の人生が消化され、今私は73歳でここに生きている。 1985年8月13日、私は48歳であった。 人の記憶 阪神淡路大震災は1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒に起こった。 当日の私は、何処で何をしていたのか記憶が無い。しかしその大震災は記憶がある。 新潟県中越地震、2004年(平成16年)10月23日 岩手・宮城内陸地震、2008年(平成20年)6月14日(土) 私は、何処で何をしていたのかの記憶は全く無い しかし25年前の日本航空123便の墜落事故は前記した様に記憶は聡明である。 人の記憶と言うものは、自分とは因果関係が直接無い事柄は忘れてしまうらしい。 阪神淡路大震災、このことは記憶していても1月17日午前5時46分52秒に起こったことの記憶は無い。 それは、自分とは直接関係の無い災害であるかららしい。 勿論、被災に遭われた当事者は、平成7年)1月17日午前5時46分52秒 自分は何処で何をしていたのかも克明に記憶している。 人の脳の記録AREAは、PCに例えるならばHDDと同じで、データが満杯になると自動的に自己のデータと関係ないものは消去しているらしい。 これは、私の独断と偏見の論理である。 その証拠に、昨日の夕食の献立はかろうじて思い出すが、一週間前の夕食の献立なぞ、意識的に思い出す事も出来ない。 それが、一週間前、愛する恋人とデイトをしての夕食の献立は思い出す事が出来るのである。 一週間前→恋人とのデイト→夕食→献立の順序である。 まさにPCのファイル管理手法とおなじである。 広島・長崎の原爆投下の悲劇も 日本航空123便の墜落事故も 阪神淡路大震災も 直接自分とは関係無い人々が増えていく そして人々の脳裏から消却されていく
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