なぜ、ボンビー父さんが「お金を銀行に預けるバカ」を無視して、貯金を勧めるのか。インフレになれば、貯金の紙幣は紙くず。そうでしょう、そうでしょう。「リスクヘッジが」なんとか、かんとか。あり得る話です。「不動産、外貨預金、株、金」の」分散投資。分かります、分かります。でも、毎月のやりくりで精いっぱい。でも、あえてボンビー父さんは勧める「貯金」
キター!!
「脅し文句ではない。あなたの老後も破綻する!」
続いてファイナンシャルプランナーが「老後資金は3000万円必要です」とくる。
「年金を上乗せしましょう」と、盛んにアピールしています。年金掛け金だけでも納められない人が多いのに、「上乗せ」だと!!??
国民が将来の不安を理由にお金をため込んで消費しなければ、経済の循環が滞り、景気も良くならない。
景気が良くならなければ(物が売れなければ)給料は上がらない。「将来の不安」を取り除かなければ、お金を使おうとしないです。
消費税を上げても税収は増えませんでした。みんな、ますます財布のひもを強く縛ります。
ボンビー父さんもしきりに「貯金のすすめ」を書きまくります。
景気を良くして、給料をあげて、増税しなきゃ。増税や財政再建はそのあとからですよ。
「貯金のすすめ」は、尻切れトンボになりました。次回にします。
妻が突然「働きに出ようか」と言いました。前にも書いたように
私の連れ合いは、私と22歳で結婚。
(驚くことなかれ。当時23の声を聞くと焦るという風潮、男性は28歳がタイムリミットだった)
20歳で短大卒業~腰掛け勤め(総務課文書受付、和文タイプ係など)~お見合い~結婚~寿退社~専業主婦というのが結構普通だった。
腰掛けの会社勤めだったので、年金の特別支給が始まっても、ごくわずかな金額です。でも、まあ、もらえるだけいいのです。
厚生年金は、60歳から支給されていましたが、法律改正で65歳から支給されることになりました。経過措置として段階的に支給開始年齢が引き上げられることになりました。
男性は、昭和36年4月2日以降生まれの人は完全アウト。無年金が5年続く。5年収入がないのは、相当にきつい。
文部官僚が血眼になって、天下り先を探したり、無用な特殊法人を作っているのは20年前から、いやそれ以上前から着々と進められていた。
話は変わって
「で、今からどこで働くの??!!」
「病院経営の老人施設で、食事をつくる仕事よ。この年で、一般事務の仕事があるわけがないじゃないの」
確かに。コネで入社、コピー係、お茶くみ、文書受付、電話取次、和文タイプで社内文書作成じゃ何のキャリアにもなっていない。
「やったこともない仕事だし、要領も悪いだろうからお局さんにいじめられるだけだよ。着ていく服がいるとか、靴がいるとかいろいろ言い出すんじゃないの。だいいち別にお金に困ってないじゃん」と言ってしまった。
月14万円の生活費で「別にお金に困ってないじゃん」は、ないだろう。
海外旅行をしたいとは思わない、回らないすし屋にも行かない、ホテルレストランでステーキを食べたいとも思わない、レクサスに乗りたいとも思わない・・・・・限られた予算だけどヨガやお茶のお稽古に行って、ジム友とお茶して、孫が遊びに来て、手作りのご飯を食べて、健康でコーヒーがおいしくて、野菜をいろいろ育てて、雨漏りのする「昭和レトロの家」があり夜露をしのげる・・・・・
ボンビー父さん曰く
「別にお金に困ってないじゃん。ゆっくり好きなことやろうよ。」
妻、絶句
隣の市の道沿いに、こんな感じの「無人アパート」が立ち並び、異様な雰囲気です。
一棟すべてが空室も珍しくないようで、中国の「ゴーストタウン」を連想します。
外資系IT企業や大手機械メーカーの進出で、(たぶん)4,000人以上が働いていました。
市全体で工員向けのワンルームの賃貸物件の建設が促進され、金融機関やJAが融資を行い、非常に潤っていました。
リーマンショック以降、大幅な人員削減や撤退、派遣切りが始まり、潤っていた街は一変し、「空室地獄」と化しました。
一時は4万円の賃料をとっていた物件が今では5000円。「最初の3か月は2500円」の広告を打ってもだめ、諸費用をほとんど0円にしても空室らしいです。
■固定資産が残り、投資資金がゼロにならない!
毎月の安定した家賃収入は、年金代わりの不労所得に。
「年金代わりの不労所得」という殺し文句のパワーはすごいです。
これを信じて投資した農家の老人が多かったようです。家賃10年保証は、2年で一方的に破棄されて、あわれな姿を晒しています。
で、家賃が高い人はこんな地方都市に住んではどうですか。管理費が2500円ぐらいありますが、
1日ちょうど250円です。
飛行場は近いし、魚も野菜もおいしいですよ!
人手不足で「店員募集」は、いくらでもあります。