記事検索

猫の揺りかご Blog

https://jp.bloguru.com/catscradle

フリースペース

不定形という名のひとつのカタチ

スレッド
前にも何度か触れたことが
あるような気がするけれど。

もともと私、夢幻伝説タカマガハラの颯那智は、
タカマverのみが好きだったのです。

初めて颯那智の魅力に触れて、
胸キュンシーンに身悶えていた頃は、

「BL」なんて概念、知らなかったし、

「男の娘」なんて概念も、
この世に存在していなかったか、
存在していても、今ほど浸透していなかった。

「BL」という概念を知った後も、
このふたりにそれはそぐわない気がして。

中ツではせいぜい、

友達として仲良くやってくれ、
程度にしか思っていなかった。

それが次第に、

中ツも込みで颯那智が
好きになっていった理由のひとつに、

確実にこの歌がある。





「それは蛍のように」執筆時には
何度も聴いてた。

私もこの曲を知ると同時に、

彼女がかつて「彼」であったことを
知った人間だから。

どうしても、背景にそういうものを
感じてしまって、

それは、彼女が望んでいたことでは
ないのかもしれないけれど。

でも、なんていうか。

たまたま、好きになった人が、
同性だった。

叶わない恋だった。

そういう切なさを、やるせなさを
感じさせる曲だったから。

手をつなぐくらいでいい。
並んで歩くくらいでいい。

それすら危ういから、
大切な人は友達くらいでいい。

そんな歌詞が、
中ツの颯那智と重なって。

笑われて、バカにされても、
相手を憎めなかったり、

自分だけ責めてしまったり、というのも、
那智に当てはまるんじゃないかと思って。

この曲にめちゃめちゃインスピをもらいながら、
「それは蛍のように」を書き上げた。

私にとって、
那智は那智だから。

もともとの性癖が、とか、
そういうのはあんまり、考えたことがなくて。

ただ、たまたま隆臣を好きになって、
たまたま颯太を好きになったのだろうなと。

そんな気がして。

だから、「BL」とか「男の娘」って括りは、
いまいちしっくり来ないというか。

あえて分類するなら
そうなるかもしれないけれど、

でもあえて分類する必要性を
感じないというか。

そこがまた、
彼らの魅力だなぁというか。

颯太も那智も、
互いに人として好きなだけで、

「男が好き」なわけではない気がして。

性別は時に障壁にはなるけれど、
「条件」ではない気がして。

人として互いに惹かれ合う、
そんなふたりだからこそ、

いつの間にやら、
どちらの世界でも好きになっていたのだろうなと。


#動画探索 #夢幻伝説タカマガハラ #小説執筆

ワオ!と言っているユーザー

偏見と注目のはざまで

スレッド
「カミングアウトは嫌だった」紅白で性別を宣伝に使われ、苦悩したシンガーの告白(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/fdbe46372f9f9e99a8fabfd5acba0bfce60efc23

う~ん。。。

個人的には、
この人はこの人だと思ってたけど、

私が思ってた「この人」は、
この人ではなかったのだろうか……。

正直、どんなに実力があろうと、
商業ベースで売れるには、

ある程度のセンセーショナルさは必要で、

それを当然のように求めたスタッフと、

そんな風に「消費」されることを
望んでいなかった本人との間で、

うまくコミュニケーションが取れていなかった、
というかもはや、

スタッフ側がコミュニケーションを
取ろうとしていなかった、ということでしかない気がする。

ぶっちゃけ、テレビ業界なんて、
LGBTQ云々関係なく、

身勝手な台本ありきの世界だから、
この手の話はごろごろ転がっている気がする。

衣装の下りなんて、

鬼束ちひろの「Aラインのワンピースが嫌だった」と
相通ずるものがある気がするし。

正直、男女というカテゴリーに関することでさえ、
無意識の偏見が満ち溢れている社会だから、

そこに疑問を投げかける意見に対してはすぐに、

「これだからフェミは」だの、
「これだから女は」だの、

「めんどくさい世の中になった」だのと、

一喝したり一笑したりすることも多い世の中だから、

LGBTQへの差別や偏見をなくすのは、
限りなく不可能に近い気がする。

>>>紅白の直後に受けたインタビューでは、繰り返し「中村さんと似たような経験をした人からも、たくさん共感を得ていると思います」といわれたという。

これって結局、男は男、女は女、LGBTQはLGBTQと、
一括りにしているからこその発言であって、

女だからって女の気持ちがわかるとは限らないのに、
女同士だからこそ分かり合えないことだってあるのに、

平然と同じであることを押し付けてくるのと
構造は一緒だと思う。

生まれたときの身体的な性別が男で、
心は女だからって、

はるな愛さんと椿彩菜さんとこの人では、
まるっきり違うのに、同じように扱おうとする。

それって違うでしょ、という話でしかない気がする。

一人の人間として扱ってほしい、という話でしかないのに、

「めんどくさい」とか、
「じゃあどうしてあげればいいの?」って
コメントを見ると、

何だかなぁと思ってしまう。

「どうしてあげればいいの?」って、
どうしてそんなに上から目線なんだろう。

「配慮の強要」とか、
別にそこまでのことを望んでいるわけじゃなくて、

ただただ、対等な一人の人間として
扱ってほしいだけなのでは……?

現状があまりにも
対等ではなさすぎるから、

それは自分の実力不足と呼べるレベルを
はるかに凌駕しているから、

だから声を上げているだけなのでは……?

確かに世の中には、
声の大きい「弱者様」もいらっしゃるけれど、

この人の場合は、
そうではないような気がするんだけど……。

というかこの人の場合は、

そういう外野の声を気にせず、
凛と生きている人だと思ってた。

はるな愛さんのように、
自身のセクシャル的なことをネタや笑いに変えて、

たくましく生きているのとはまた違って、

椿彩菜さんのように、
純粋に「可愛い女の子」を売りにするのともまた違って、

凛とした美しさを放つ人だと思っていた。

この人には、「歌」があったから。

お笑い芸人でもなければ、
モデルでもない、

実力派シンガーだったから。

だけど、この人にはこの人なりの
苦悩があったのだなぁと。


#雑記

ワオ!と言っているユーザー

  • ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
    ログイン
  • まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
    新規ユーザー登録へ
ハッピー
悲しい
びっくり