録画していた大河ドラマ、
「麒麟がくる」の最終回をようやく見ました。
もう、ね。
「是非もない」のこの重みよ。
帰蝶が信長に嫁ぐ際のセリフが重なって、
重たくて痺れました。
秀吉の「明智さまが天下をぐるりと回してくれる」にも
ぞくぞくした。
これはぜったい中国大返しを描くんだとばかり思ってたら、
淡々としたナレーションで終了。
えええええ~~~!?って思ってるうちに、
舞台は本能寺の変から3年後の世界へ。
ええええ~~~!?ちょっとぉ~~~!!!
って思ったけども。
これはこれで、良い終わり方かもしれないと、
最後まで見て思った。
正直、腹黒い秀吉の活躍を見たかったところだけど、
それじゃあ、主役が変わっちゃうしなぁ。
信長の最期についてもそうだよね。
舞を舞うのか舞わないのか、すごく注目して見てたけど。
この作品には、これが似つかわしいと、
そう思える描き方だった。
歴史上、信長が舞を舞ったのか舞わなかったのか。
どちらが正解かということではなくて。
この作品では、この展開では、
そうだよなと、そう思える描き方だった。
最終回全体を通じて、
主役はあくまでも明智光秀なのだと、
クライマックスはあくまでも本能寺の変なのだと、
そしてそれは、
決して華々しいショーではないのだと、
そんなメッセージがひしひしと伝わってきました。
あえて主役の「最期」を描かないことで、
視聴者に余韻を残す。
物語の味わい方を、残り香を、咀嚼の仕方を、
視聴者に託す。
そんな終わり方もあるのだなぁと。
誰もが知っている「結末」と、多くの「謎」。
その中に秘められた「ドラマ」を丁寧に描いて見せた。
これこそまさに、大河の醍醐味だと思います。
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