八日目の蝉
5月
13日
「とられた側」の視点をろくに描かないところや、
本来の場所で居心地の悪さを感じてしまうところが。
同時期に放送された「Mother」とも似てるのは、
前々から耳に挟んでいたけれど。
でも、この作品が「Mother」と違うのは、
「あなたのやっていることは犯罪だ」、
「その子はあなたの子どもじゃない」って
言ってくれる身近な人物がいないこと。
いないから、視聴者である私自らが突っ込んでしまう(笑)
いないから、安心してヒロインの視点に寄り添うことができない。
あと、逃亡生活(特に前半)があまりにも無計画。
「あてもなく名古屋へ・・・」って、
ダメ元でも良いからあてくらい作ろうや(笑)
「天使の家」とその入居者が抱える過去や想いには引き込まれました。
客観的に見れば、いかにもきな臭い宗教集団。
でも、彼女たちにとっては「最後の砦」。
そこに縋るしかない彼女たちの「叫び」が胸に迫ってきて、
後に明かされる「入居条件」に心が痛みました。
今まで「恐ろしくて奇妙な集団」としか思わなかったある種の社会現象を、
違った側面から垣間見た気がします。
いろいろと突っ込みながらも、
夢中で見てしまったもう一つの理由は、この作品のタイトル。
どんな意味が込められているのか疑問に思いながらも、
「蝉=薫との逃亡生活」だと朧気に解釈していた私は、
「8日目=その儚い幸せが終わるとき」に「何が起こるのか」が
気になって仕方がなかった。
でも、本当の意味は、
「8日目まで生きた蝉は孤独だけれど、
その分、他の蝉が見ることのできないもの
(=希望)を見ることができる」だそうで。
・・・この解釈、私には腑に落ちない。
誰にとって、何が希望だったの・・・?
希和子が懐かしむ小豆島の日々は、
あくまで「思い出=過去」であって、
「8日目以降=未来」ではないし。
「堕ろすつもりだった恵理菜の子ども」や「成長した薫との再会」、
「フェリー乗り場から見える夕日(朝日?)」が「希望」だとするのも、
とってつけたようで安易な気がする。
ご都合主義に思えて好みじゃありません。