私が仕事を離れて、もう何年になるでしょうか。 年金暮らしを笑いながら楽しんでいます。 再雇用の話もあったけれど、静かな田舎暮らしを選びました。 月に二度のスタジオでのドラム練習、 週に五日のスイミング――そんな小さな日課が、暮らしにリズムを与えてくれます。 それでも、ときおり胸の奥にぽっかりと空白が広がることがあります。 現役時代の「使命感」や「責任感」が、もうそこにはないからでしょう。
戦を越え 飢えを耐え 海を渡り 恋をし 子を抱き それでも生きようとした人々が この手のぬくもりを つないでくれた 血とは 記憶の川なのか 祈りの流れなのか 数えきれない願いが 私のなかを通って いま 息をしている
窓の外では 柿の葉が風にゆれている 秋の光は 斜めに射し カウンターの上の珈琲を 金色に染めている 湯気のむこうに 春があり 夏があり 秋があり 冬がある すべての季節が やわらかく重なっていく ふと 思う ――私は どこから来たのだろう 二十代前 百代前 数えきれぬほどの命が 私のうしろに立っている その誰かが 一人でも途切れていたなら 私は ここにいなかった
窓辺にひとり腰かけて 珈琲の香りに包まれる午後 心の奥で 遠い声を聞くことがあります それは 風のような声 見えない誰かの気配 はるかな時の流れを越えて 私のなかに生きている命たちのささやき 「私はどこから来たのか」 「私は何者なのか」 「私はどこへ行くのか」 答えは どこにもないようで けれど この静けさの中に 確かに息づいています。
窓の外では、柿の葉が風に揺れている。 秋の光は斜めに射し、カウンターの上の珈琲の表面を、金色に染めている。 湯気の向こうにぼんやりと四季の記憶が重なっていく。 春には芽吹き、 夏には緑が溢れ、 秋には実り、 冬には静寂が訪れる。 そうしてまた、命はめぐる。 ふと、私は思う。 ――私はどこから来たのだろう。