思えば、祈りにはもともと二つの顔がある。
ひとつは、心を清め、静けさに触れる祈り。
もうひとつは、明日を生きるために寄りかかる祈り。
天満宮での「合格祈願」も、その一部だ。
それは、“得をしたい”という浅い欲ではなく、
「努力が実をむすびますように」という、
ひとりの人間が自分の道を信じたい気持ちだ。
不安な胸を抱えながら、
たった一歩、明日に進むための祈りだ。
祈りは、決して特別なものではない。
願ってよい。
迷ってよい。
時には「どうか助けてください」と神にすがってもよい。
ただ、その願いの奥に、
少しでも“まこと”があればいい。
よりよく生きたいという素直な心があれば、
どんな祈りも、静けさの祈りと同じ場所へたどり着く。
私はこう思うようになった。
「静けさの祈りは心を整え、
願いの祈りは明日へ進む勇気をくれる。
どちらも、神の前に立つ誠のかたち。」