シェリーが言ったように、冬が来たなら、春は遠くない。だが若い頃の私は、春だけを急いでいた。 いまは、冬であること自体に意味があると、ようやく思える。 枯れたように見える畑の土の下で、命は静かに息づいている。 同じように、この身体の奥にも、まだ言葉にならない思いや、誰かを気遣う心が残っている。 老いは終わりではなく、深く根を張る時間なのだと、冬の朝はそっと教えてくれる
朝の冷え込みが、年ごとに身にしみるようになった。 若い頃は、寒さなど意にも介さず外へ出ていたものだが、いまは窓越しに霜の降りた畑を眺め、湯気の立つ湯呑みを両手で包む。 それだけで、今日一日を始める準備が整う。 老いとは、勢いを失うことではなく、季節を受け入れることなのかもしれない。
「冬来たりなば、春遠からじ」という言葉は、厳しい季節のただ中にあっても、希望の芽はすでに息づいているのだと静かに教えてくれる。 冬は寒く、色を失い、耐える時間の象徴である。しかしその冬が訪れたという事実そのものが、次に来る春の存在を確かに予告している。