”治りづらい・生きづらい”~RDDかながわはじまるよ講演会~
3月
25日
① 今日(も)長いです!のんびり読んで!
② 当ブログ3/3付け
「RDD2019 ~2月最終日は、何の日?~」
を読んで下さると、より分かりやすいです。
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3月23日(土)の午後、かながわ県民センター7F
会議室にて、神奈川難病団体連絡協議会(通称・難病連)
https://nanren-kanagawa.jimdo.com/
主催のもと「かながわRDD 講演会」が行われました。
RDDとは「Rare Disease Day」の略で
希少・難治性疾患…つまり、
患者数が少なくて心細い!
原因や治療法がハッキリ分からないから心配!
…という病気に苦しむ人たちが世界中にいることを、
みんなで考えよう、 同じ地球の仲間だしと
いう日のことです(雑だね)
時期は、毎年2月の最終日(2/28 or 2/29)で、
もともとは、スウェーデンの研究者と(希少疾患)患者ら
の雑談から始まり、世界中に広まったRDD。
それが「うるう年(2/29)」だったことから
「珍しい(レア=Rare)日」「珍しい病気」
レアレアつながりでこの名前になったそうな…。
あっ、ダジャレじゃん…( ̄▽ ̄;)
日本では2010年から各地でいろいろなイベントが
行われ始め、10周年を迎えた今年、ここ神奈川県でも
ついに、始動するよ!…という講演でした。
登壇したのは、RDD事務局長でNPO法人Asrid代表の
西村由希子さん。
2008年に西村さんが(研究者として)出席したアメリカで
行われた(薬をつくる)会議でRDDの活動を知ったこと
が、RDD JAPANが生まれるきっかけとなりました。
医療・研究・企業・患者など「置かれた立場の違う人
たち」が同じ場で気さくに話をする様子に(日本との違いを
感じ)西村さんは大変ショックを受けたそうです。
帰国後、2010年から日本でRDDをスタートした西村さん。
もちろんすべて順風満帆…とはいかず、はじめは
アメリカから突然やってきて活動を始める様子に
「黒船のように思われた(怪しまれた)」と
笑い話として振り返りました。
実際は笑えないご苦労がてんこ盛りだったと
思います…( ;∀;)
RDD JAPANを始めるにあたっての決め事は
・学ぶだけでなく、楽しめる場とする
・「すべて」の疾患の日とする。
つまり「この病名だけ」などと決めない。
そして…
・はじめたら、あきらめないで続ける
また各地で行うRDDイベントの規模の大小は
問わず、時期も「2月の最終日」に固執せず、
2月から3月末の間に開催するものとしました。
また、わたしが特に感銘を受けたのは、
「希少疾患に苦しむ患者は、世界中で3憶5千万人
いるとされ、それは全世界の人口の4.6%。
アメリカ合衆国の人口よりも多い。
(それでも”少ない””関係がない”と言えるだろうか)」
「患者たちは、ずっと病院で過ごすわけではなく
“日常”がある」
「その人たち”に”何が出来るか。そして
その人たち”と”何が出来るかを考える」
「患者たちだけで”出来る”ことと、
患者たちだけでは”出来ない”ことがある」
「草の根運動が、世界を変える」
などといった、パワーワードの数々。
偶然にも(RDD JAPANと)同じ2010年に創刊した
ゆうこ新聞も、
「病名問わず(病気によって)当たり前の日常を
失った人たちへ、小さなお楽しみを」と
始めたものなので、すごく心に響いちゃいました!
講演後、後半は西村さんと当事者らによる
交流会。
(順不同)クローン病、パーキンソン病、
全身性エリテマトーデス、ALS、特発性血小板減少性
紫斑病、網膜色素変性症、重症筋無力症、
皮膚筋炎・多発性筋炎、関節リウマチ、脊髄小脳変性症
の当事者、ご家族、患者会に携わる方など約20名が
参加しました。
自己紹介を兼ねひとり約5分ほどのフリートーク。
それぞれが口にする「病気と共に生きてきた時間」に
誰もが思いを馳せ、真剣に耳を傾けました。
桜が咲く今、来年の2月の話をされてもピンと来ない
とは思いますが、
季節が移り変わり、吹く風が冷たくなった頃に
「そういえば2月って、めずらしい病気のイベントが
あったね!」と思い出していただけたらサイコーです。