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いもうと

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いもうと
11/24/2023









今年もクリスマスカクタスが咲いたよー

と、姉1に写真を送った。
夏、わたしのiPhoneに保存されている画像を見せていたとき、姉は何よりもクリスマスカクタスの写真に飛びついた。わたしが植物を愛でている(?)ことが意外だったらしい。まぁそれもそうだろう、自称植物好きだけれど、花も木も草もなかなか名前を覚えない。


4月、母の誕生日に合わせて鉢花を購入した。鮮やかな緑色のふっくらとした葉っぱに可憐な白い花が付いていて、母が好きそうだなぁと思ったからだ。その鉢花を飾って、母のことを偲んだ。
それが「カランコエ」だと教えてくれたのが姉1だった。
買ったときに付いていた花の名のタグを捨ててしまって花の名前が分からなかったので、とても嬉しかった。姉1のことを、わたしは「植物博士」と呼んでいる。昔から、姉は草木の名前に詳しかった。そして、その草木にまつわる話をしてくれた。


 クリスマスカクタス、今年も咲いたよー

写真を添えて送ると、姉から返事が来た。

 父ちゃんのカニラン。

カニランというのか?と思い検索するとシャコバサボテンが出てきた。カニバサボテンとの違い、というのもあった。どうやらわたしのはシャコバサボテン(デンマークカクタス、クリスマスカクタス)らしい。父が育てていたのは果たしてカニバサボテンの方だろうか。カニランというからにはそうなのか?でもこれらは良く混同されるらしいし、どちらの性質も持った交雑種も出ているというので、同じものと言っても良いのかもしれない。うちのは葉にトゲトゲがあるので(一応)シャコバサボテンみたい。
というか、こういうことも知らずに育てていた。本当に愛でていると言えるのかどうか?そうではないね、いやはや、笑える。それにしても「カニラン」というのは島独特の言い方なのかもしれない。そう言えば昔うちの庭には「月下美人」があったな。あれも父が育てていたものなのだろう。夕暮れから夜にならないと開花せず、朝にはしぼんでしまう。時々、「咲いた!」と言って、皆で庭へ出てその花を眺めた。子供心に、月下美人とはよく言ったものだと神秘的な、厳かな気持ちになったものだ。


わたしが父と同じようにしているなんて、と、写真を見た姉が大層驚いていた。わたしには父の記憶があまりない。どちらかと言うと母が庭の木々の手入れを丁寧にしていた。でも、そう言えば母は「父ちゃんのため」とか言っていたな、と思い出した。父ちゃんが育てていた草木だから、母は父のことを思いながら世話をしていたのか・・と、今更ながらに思う。

姉にカランコエの写真も送った。夏に一時帰国している間、夫が水をやり過ぎたらしく、かなり弱っていたので思い切って切り戻した。その後、もうダメかもしれないと思っていたのに、復活してくれたものだった。それから、数年前に買ったガーデンシクラメンの写真も送る。こんなに長生きするとは思わなかったので自分でも驚いている。いつまで持つのか?

それらの写真を見て、mすごい!と、姉から褒められた。
ふひょー。
こんな歳になってもまだ姉から褒められるのがこんなに嬉しいなんて、わたしはいつもいつまでも一番末の妹なのだな。



















#日記

ワオ!と言っているユーザー

油ぞうめん

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11/18/2023










長兄が急逝して早くも49日。
我が家はカトリックで厳密にいうとキリスト教的には49日法要というものはないのだが、追悼ミサが行われるのだという知らせが来た。参列はできないけれど、一緒に祈ろうと思う。


兄の葬儀にも参列は出来なかった。
知らせを受けて慌てて帰国の手配をし始めたのだが、どうしても間に合わなかった。日本での国内線乗り継ぎに時間がかかってしまった。たとえシカゴまで運転して行ったとしても同じだった。こういうとき、やはり遠いんだな、、、と感じる。


それでもお通夜と葬儀と、LINEのビデオ通話で参列させてもらった。娘の機転に頭がさがる。彼女にとっても「優しいおじちゃん」、知らせを受けてすぐに駆けつけてくれた。とてもありがたかった。兄も喜んでくれたと思う。


兄の子供達ともビデオ通話で話をした。

「m姉ちゃん、なんて顔してるのー」
「悲壮感、半端ない」
「泣き過ぎー」
「大丈夫?」

ビデオ通話で兄とお別れをした直後のわたしを、そんな言葉で笑い泣きしながら慰めてくれた。みんなもう立派な大人だ。わたしはこんな歳になってもまだまだ。




夏に島で兄貴と会った。
兄はますますワガママになっていて、兄貴も歳だなぁ、、と感じた。
滞在中、毎晩のように「友人」を招待した。
焼酎を準備し、氷と水を準備し、料理をこしらえた。
島の古い男どもは女があれこれ世話をするのが当然、という雰囲気がいまだにある。
というか、島に帰ってきたからそうなるのだ。兄貴はいつも妹たちに甘える。

姉たちは、姉2-姉3-姉1の順に調子を崩していたときで、兄貴の世話はわたしに回ってきた。
最初の頃は普通に頑張ってこなしていたが、毎晩となるとキツい。
外食(&外呑み)に行った後、友人らと一緒に「帰って」来て、二次会(三次会?)となるのだから困る。
島で懐かしい友人らと会えるのだから嬉しい気持ちはわかる。わかるけれど、こっちの気持ちも汲んでくれよー、と心の中で嘆いた。

最後の夜。
片付けをしていたわたしに「油ぞうめんとか食べたいなぁ〜」と兄が言った。
上機嫌の兄に向かって、わたしはこう答えた。
「そうめん、ありません。買いにも行きません。油ぞうめん、作れません。」
兄貴は、あっちゃ〜!とおでこを叩いて笑っていた。
ふん!家に帰ってから、自分の奥さんに作ってもらえばいいでしょ!と、心の中で思った。


一番先に体調が戻った姉2は仕事と部活で忙しかった(いつものことだが)。
姉3は兄貴が帰る前日にやっと起き上がってこれた。
姉1はずっと寝込んでいて、兄が帰る時、かろうじて挨拶できた。
兄貴の友人が来て、空港まで送って行った。

あぁやっと帰ってった!

と、姉たちと笑い合った。




油ぞうめん、作ってあげればよかった。
次に帰国するときには、油ぞうめんを作って兄貴にお供えしようと思っている。
昔ながらの島料理らしい、ジャコ入りの、油ぞうめん。
















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