サムライ
5月
8日
わたしは侍(サムライ、Samurai)という言葉が苦手だ。
サムライ、と聞くと、日本刀、切腹(ハラキリ)を連想してしまう。
今に始まったことではなく、昔から「時代劇」なるものが好きではなかった。しゃっと刀を振るう音や、もっと言うと、刀を携えた腰の辺りを押さえながら走る武士の姿にも相当の嫌悪感がある。これは、もしかしたら遥か昔(前世で)、お侍さんに切られたのかもしれない?などと思っている。
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余談だが、前世と言えば「ギロチン」に対する嫌悪感は「侍」の比ではない。これは本当の本当に、(前世で)ギロチンの刑に処されたのではないかと思うほど、「ギロチン」というものに、震え、慄く。鳥恐怖症に近いくらいの、自分ではどうにもコントロール出来ない恐怖感がある。
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というわけで、侍という言葉の入っている「サムライジャパン」という呼称も好きではない。
日本を代表する名称として使われている(?)ことにも疑問を感じる。日本というと、侍というよりも農民、耕作人なのではないか?と思ってしまう。強い男性を表すために「サムライ」としたのだろうとは思うけれど。
先日、某ブログで「自分はサムライだから」という表現があった。サムライだから、何だと言うのだろう?と、不思議に思った。サムライのなんたるやについても記されていたと思うが、よく覚えていない(←それくらい、サムライという言葉に対する先入観があるのだろう)。
でも、ひょんなことから、こんな記事を見つけた。→武士と侍、どう違うのか?
その中に、「侍」という言葉のもうひとつの意味が書かれていて、なるほど・・と思った。
先の某ブログ筆者は、そういう意味で使っていたのかもしれない。
それにしても、侍とかバイキングとかギロチンとか、そういう時代でないことに感謝。