01/30/2022 昨夜から1Q84 を再読中。 読んだことのある人は知っていると思うが、青豆という姓の女性が登場する。 この姓は実際に存在する希少姓の一つらしい。 物語の中で、 ーこんな姓に生まれていなかったら、 という箇所がある。 もしも違う姓だったら、人生は今とは違っていたかもしれない、もう少しリラックスした人生を送っていたかもしれない、と、ある。そして、もう少し寛容な目で世間を眺めていたかもしれない、と、ある。(1Q84:村上春樹より) わたしは、姓というものについて、あまり深く考えたことがなかった。 旧姓は青豆ほどではないが珍しい姓だと思う。 と、ここまで書いて、調べてみたら、、、 青豆さん 43441位、全国50人程度 m_aの旧姓 63125位、全国20人程度 と、ある。なんと、青豆さんよりも希少姓だった。うきゃー。 親族だけらしいよ、とは聞いていたが、本当にそうみたい。 自分の旧姓はカッコイイとは思っていた。 1Q84の青豆のように、名乗ると必ず「え?」と聞き返されたし、濁音で読まれるのを訂正することもしばしばあった。それでも嫌な思いをしたことはない。逆に、特別な感じがして誇らしかった。 結婚したとき、旧姓を失う=夫の姓を名乗ることになった。 少し残念な気はしたが、それが自然なことだと思った。抵抗はなかった。 姓を変えるということについて、深く考えなかったのだ。 だから、婚姻届を出す際「姓はどうしますか」と訊かれたときにも、どうしてそんなことを聞くのだろうくらいにしか感じなかった。 そして、夫の姓を名乗るのであれば氏の変更届を一緒に提出するよう言われたので、なんの疑問も持たず、そうした。 あのとき、もっと勉強しとけば良かった、、、と、今更ながらに思う。 夫の姓を名乗ると同時に、わたしの旧姓も保つことが出来たらしい。いわゆるダブルネームというやつ。 ということを、何年か前に娘に言われた。なんで旧姓を取っておかなかったのか、と。 ホントだね〜そういう発想もなかったんだよね〜と、お気楽に答える。正直、旧姓を保持しなくても、わたし的には特に問題なかった。日本で姓を名乗ると、え?という顔をされるが、この姓のおかげで、配偶者が日本人じゃないということがダイレクトに(或いは暗に?)伝わるし。 なので、娘が日本で就職したときにわたしの旧姓を使わせて欲しい、と言ってきたときには、は?またなんで ???と、すぐには理解できなかった。 この顔で(娘はいわゆるハーフ顔)姓がカタカナだと、どんなに日本語が話せてもハンデになる、というのが彼女の持論だった。 えーそんなことないでしょう、と言うが、彼女にしてみたら死活問題だったらしい、当初。 姓はそのままで、下の名前を日本名にしたら良いじゃん?と言うと、日本では姓で呼び合うから、下の名前を言ってもしょうがない、と言う。 わたしはその昔、下の名前で呼ばれてたけどね、みんなカタカナで呼ぶのが面倒なのか呼びづらかったのか知らんが、ほぼ100%下の名前で呼ばれた。同僚からも上司からも他所の医師からも院長からも理事長からも(医療系だったので)。 それとこれとは話が違う、と、娘はいっていた。 ただでさえ他の日本人よりハンデがあるんだから、名前だけでも、と言っていた。 なので、 そういうことが出来るんであれば良いんじゃないの?と、伝えた。 わたしに許可を取る必要もなかろう、自分の好きなようになさいよ、と。 娘は、父親を傷つけるんじゃないだろうかと気にしていたらしいけど、夫は特に何も言わなかった。日本社会のなんたらを、わたしよりも感じていたのは夫だったと思う。ある意味、娘の言い分を理解したのは夫の方だった。 青豆が自分の姓について思う箇所を読んで、娘のことを思い出す。 娘も、外部から寛容な目で見られたい、ということではなくて、彼女自身が「もう少し寛容な目で世間を眺めていたかもしれない」ということだったのかも。 なんか辛いなぁ。 姓如きでさ。 今はもっと余裕が出来たかな。どうかな。たかが姓、されど姓、か。 そう言えば日本は今もまだ夫婦別姓は認められていないようだけど、この先どうなるか。 たかが姓如き。好きなように出来ればいいのに。寛容に。