様子見
1月
18日
ーインターネットが発達して、人は人と直接話さなくても、時間が過ごせるようになりました。大人たちは、メールやゲームをしたり、ウェブサイトを見たりする時間が増えて、どんどん人間との直接のコミュニケーションが苦手になっています。
ー「コミュニケーションが得意」とは、相手ともめてしまったとき、それでも、なんとかやっていける能力があるということです。
ーコミュニケーションは、おたがいがうまく折り合いをつけるための技術です。
大切な人と深くつながるために:鴻上尚史
筆者は、コミュニケーションはスポーツと同じで、何度も繰り返し練習することで上達すると言っている。
確かにそうかもしれない。
わたしはコミュニケーションが得意ではない、と思う。
その理由のひとつは、ほかでもない「練習不足」ということなのかも。
わたしは人見知りだ。
これを言うとわたしを知っている人たちは最初は信じてくれないのだが、初対面の頃に遡って思い出してもらうと、ああああ、と納得する。
それくらい、わたしは静かにしていたのだ。
最初から陽気に、自分から話しかけたり、というのはほぼ、ない。
出来ない、のではなく、そういう気持ちがないのだ。
積極的に関わろうという気持ちが薄い。
仕事であれば、なんとか頑張って関わっていこうとする。
その分、時間はかかるが、そういうわけで、ある程度慣れてくると気負うことなく話せるようになる。
これは、今は英語環境だからというのはもちろんあるかもしれないが、日本にいた頃からそうだった。
インターネットの発達とか、それ以前の問題だった。
先の引用に、「大人は」と書かれているところが興味深い。
わたしはいつから「様子見」をするようになったんだろか。
どうして「様子見」するんだろ。ズルい?
これが自分だからそれでいい、と思ってきたけど、それでいいのか?
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