12/25/2021 12月25日、Christmas Day です。 夫は朝早くから仕事。 よって、Holiday Dinnerは彼が帰って来てから。 わたしは早朝からパンを焼いたり、昨日焼いたチョコレートケーキの仕上げをしたりで結構、忙しい。 合間をぬって、犬たちを散歩へ。 今年は異常気象で暖かいクリスマス。雪もない。青空。 そのうちまた寒くなるのだろうけれど、この歳になってもホワイトクリスマス〜とか騒ぐわたしにはちょっと残念なクリスマス。 うちは代々、クリスチャンだ。 わたしは生まれてすぐに洗礼を受けた。 両親も、どちらの祖父母も、クリスチャンだと聞いた。 母の話では、島にキリスト教が伝来した時からだと言う。ホントかいな? 実際に調べたことはないけれど、確かにわたしの島はクリスチャンが多い(日本の他の地域に比べれば、という意味で)。 そんな島だけど、それでもやっぱりクリスチャンというのはマイノリティーではあった。 うちの家族にとってはごくごく普通なことだったけどね。 そういうわけで、わたしにとって、クリスマスというのは幼い頃から特別な日だった。 家族でお祝いする日。クリスマスおめでとう! クリスマスにプレゼントをもらうことは一度もなかった。 そういう日ではなかったし、そういう文化(?風習?)があることも、知らずに育った。 結構、大きくなって、クリスマスプレゼントという存在を知ったが、それは自分には関係のないイベントで、特に気にもならなかった。 そして、サンタクロースなんかは別世界の話。 お伽話でしかなかった。 異国の人たちは奇妙なことを思いつくものだ、という感じ。 それがアメ人と結婚し、娘が生まれた。 そっか、サンタクロースからのプレゼントというものが必要なんだな、と思った。 最初は面白半分。娘も物心つくまでは何が何だかわからない。 そのうち、「これ、いつまで続けるのよ?」と、なって、彼女から「本当のことを教えて欲しい」と言われたときにはホッと安堵したものだ。 娘、10歳くらい?9歳だったかもしれない。 とにかくわたしは、安堵して、正直に話したのだった(夫にも相談しなかったな、そう言えば)。 真相を知った娘、わたしにこう訊いてきた。 「マミィがサンタクロースいないって知ったのはいつだったの?」 いやはや。今、思い出すだけでも笑える話。 わたしの返事。「サンタクロースいるって思ったことなかったよ。」 娘は、ええええええ?と、のけぞる程に驚いて(いやホントに)、 「じゃぁマミィは、サンタさんからプレゼントもらったこと、一度もなかったの?」 プーレーゼーンートーーーーー? 「プレゼントなんて、誰からももらわなかったよ。」 わたしは大笑いしていたのだけれど、娘は神妙な顔つきだった。 なので、「うちのクリスマス」について、彼女に話すことになる。 うちのクリスマス。 12月になると、兄が山の方へ行って、手頃な大きさの松の木を切って持って帰ってくる。 それが我が家のクリスマスツリー。 母は、古い行李(こうり)を取り出す。そこには、ツリーに飾る、色とりどりの電灯や、キラキラしたガーランド、真綿の雪なんかが納められていた。 今、思えば、あんな昔に(わたしが小さい頃からだから、かなり昔だ)、うちはけっして裕福な家庭でもなかったし、父ももう他界していたあの頃に、母は、毎年、クリスマスツリーを飾っていたのが不思議で、そしてなんとも愛おしい。 どんな気持ちであの古い電灯やらなんやらをしまっていたのだろう。そして、どんな気持ちで毎年あれらを取り出して、飾っていたのだろう? 夜になると、小さな電灯がチラチラと光って、わたしは飽きもせずにずっと眺めたものだ。 雪の降らない島で、真綿の雪をのせた我が家のクリスマスツリー。 ツリーが飾られると、うきうきして、そしてなぜか厳かな気持ちになったものだ。 「で、夜中に教会に行くわけよ。おばあちゃんに起こされて。眠くて眠くて、もう本当に嫌だったけど。それがうちのクリスマス。」 今年、クリスマスツリーを飾った後に、その写真を姉たちに送った。 姉たちはもうクリスマスツリーを飾らない。 母が大事にしていた、あの古い行李は、実家が火事になったときにすべて無くなった。 うちのクリスマスツリー。 毎年、心を込めて飾る。 それでも、あの頃の我が家のツリーには敵わないな、と、毎年、思う。