不思議
3月
24日
先日ある保護者と話す機会があり、彼らはあの卒業生の親御さんだったのだが、卒業式では涙どころか「いや、全然、何も」とのお返事で、驚いてしまった。
お父さんはともかく、お母さんは号泣かなーなんて想像していたのだが、そういった感じではなかったらしい。淡々と、「普通です」と。逆に、わたしの涙腺が緩んだことに驚いておられた。いやもう、色んなこと思い出しちゃって。とお話しすると、そうなんですか〜、と、これまたゆるゆるなお返事。笑
でも思い出した。
わたしもそうだった。
娘の卒業式。小学校でも中学校でも高校でも、そして大学でも、他人事のような感覚で見ていた。
他人事、というのとはちょっと違うかもしれない。
自分ではなく、あくまで娘にとっての区切り或いは達成(?)をお祝いする気持ちだった。
小学校は東京の某インターナショナルスクールだったので、普通の卒業式とは少し違ったかもしれない。湿っぽさはなく、ユーモアに溢れていて明るく、希望に満ちた感じだった。卒業式の後のパーティーも自由な雰囲気で楽しかった。(生徒もだが)保護者らが色々な国の人たちだったというのもあったのかもしれない。
中学は某ミッションスクール女子校だった。
ここは日本式の厳かな卒業式だった。義理ママがアメリカから来てくれて(その直後の引っ越し手伝いも兼ねて)一緒に参列した。
黒一色の礼服の中、わたしたち家族は少々目立ってしまった。夫こそグレーのスーツだったがわたしはクリーム色のスーツ、義母はややカラフルなplaid suit、、、、会場に到着したとき、あ、、、、、と思ったけど、もうどうにもならないし。
そして、式の間、周囲の保護者(特に母親ら)がすすり泣く姿に、少々動揺していた。式が終わる頃にはわたしも感極まってしまうのかもしれない、とも思ったが、元気よく退場する娘にガッツポーズで応えた。
高校はもっとドライだった。これからカレッジへ進む娘を見て「やっと家から出られるね、おめでとう!」という気持ち。あの頃の娘は早く家から出たいとばかり言っていた。
カレッジに入学して、ドームへの引っ越しを済ませて帰路につく時にも涙はなかった。良かったね!自力で自由にたくましく!これからは自分の力でがんばりなさいね!!という感じだった。後になって娘から「友達の母親はみんな泣いてたよ」と言われて、え?なんで???と思った。
家から出たからでしょう。淋しくなるからでしょう。
そらそうだけど、でも陸続きだし。海外ってわけじゃないし。
そんな会話をしたものだった。
カレッジの卒業も似たようなモノだった。当時は娘の就職がまだ決まってなくて、ここらで言うGap Yearとやらになるのかな〜程度に思って見ていた。でも親の保護はここまでですからね、という気持ちで見ていた。それは彼女もわかっていた。
カレッジ卒業から半年後、娘が日本に引っ越しする時にも泣かなかった。
彼女の希望通り、日本で暮らせることになったことを心からお祝いした。今度こそ、ひとり立ちですね、という思いはあったけど、湿っぽくはならなかった。海外だけど、わたしも夏には帰国するし、何より帰国するたびに娘にも会える。良いことだらけじゃないか。
きっとこのご両親はわたしと同じような感じなのかも。
アメリカ生活が長いこともあるのかな。
そうだ。泣かないわたしが一度だけ、感極まって涙が出そうになったことが1度だけあった。
それは娘の成人式。
まー色々あって辿り着いたあの朝。
美容院で髪を結ってもらってお化粧もしてもらって着付けを終えて出て来た彼女の姿を見たとき、初めて、うわっ、、、、となった。
不思議なものだ。
娘、What? Are you crying????と、驚いていたっけ。
あの時、確かに、まぁこんな立派に成長して。。。
と、思ったんだった。
不思議だ。
ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
ログイン
まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
新規ユーザー登録へ