うぶらん
6月
7日
6/6 ムッタの日。
昨日から「おぼえず」という言葉について考えていて、なぜかやけに懐疑的になっていた。自分では使ったことないし聞いたこともないように思っていたのだけれど、そんなことってあるのかいな、と気になり出したら、だんだん、いや聞いたことあるのかも知らんぞ、と思い始めた。
そんな感じで、おぼえずおぼえずおぼえず・・・と頭の中で繰り返していたら、ふと、「うぶらん」という言葉を思い出した。うちの島の言葉だ。特に深く考えずに「覚えていない」という意味に訳していたが、「記憶にない」というのではなく「意識にない」という意味だということに気づいた。つまりは、まさに「おぼえず」。
そこであらためて「おぼえず」を調べてみたら、どうやら古文単語らしい。
そう言えば、「春眠暁を覚えず」という言葉があった。そこでも「おぼえず」が使われていた。やっぱりどこかで聞いたことはあったんだ、と、あらためて思う。
わたしの島の言葉はよく「みやび語」が残っていると言われる。
「美しい」の意味の「きょらさ」はみやび語の「きよらか」から来ているという風。
それから、自分のことを指す「わん」という言葉は、万葉集の防人歌(さきもりうた)(当時の東国方言で詠まれたとされる)に現れる「我奴(わぬ)」に遡る言葉。なのだそう。→しまむに宝箱
「おぼえず」から「おぼえず」色々な再発見をしたのだが、先のリンク記事内にあった、動詞の変化についての記載がとても懐かしく嬉しかった。(以下、コピー)
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島ことばには、古語の「ぞ」にあたる助詞として「どぅ」があり、文中に「どぅ」があると、後の動詞が特定の形に変わる。 例えば、沖永良部方言では「私が悪い」と言うときには「わが わろさん」と言うが、 その文を「(あんたじゃなくて)私が悪い」などと強調する時に「わがどぅ わろさる(私が悪い)」のように表現することがある。 二つ目の文では、文中に「どぅ」があるため、最後の動詞が「~る」という特別な形になっている。 こうした、文中の助詞が後ろの動詞の形を変えてしまう文法規則は、日本語では室町時代にはなくなってしまったが、島ことばの中には今も生きている。
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うちの島では「しまむに」ではなく「島ユムタ」と言う。
何度かここにも書いたかもしれないが、わたしは英語も上達したいと思っているのだけれど、実はそれ以上に「島ユムタ」の習得を望んでいる。なんでそんな気持ちになったのか自分でも「うぶらんばん」。
*追記
「ものもおぼえず」という古語がある。
意味は、①どうして良いかわからない、無我夢中、上の空、②物事の道理がわからない。
島ユムタでの「むんぬうぶらん」は、もしかしたらこれなのか???