Cuddle
5月
25日
Titanicという映画、わたしは最初から最後までみたことがない。内容はほぼ知っている。でも、この映画まるまるを通してみたことがない。多分。
理由は、この映画を知った時すでに有名になっていたからだと思う。いつものこと。あまのじゃくだからだとも思う。本当に良い映画ならいつかきっとみる機会が訪れるだろう、みたいな。
それと、ラブストーリーっぽい、というのもあった。きっと本質は違うものなのかもしれないが、男と女の愛だのなんだのを鑑賞するのが苦手なのだ。
最後に「長い映画」というのがネックだった。本腰入れないと気軽にはみられない。
例のAvatarと一緒だな、と思ったら、同じ監督の映画だった。わたしはもしかしたら映画よりもあの人が苦手なのか???
映画Titanicを義妹の家で(ちょろっと)みた。
昔、義妹夫婦からMovie Nightなるものに招待された時だ。
当時のわたしは、多分Movie Nightという言葉の意味さえ深く考えず、いつも義妹の家に行ったり、こちらが彼女たちを呼んだりしていたので、その日もそういう感覚で出かけた。
Nightと言うわりに、実際に映画を見始めたのは午後の早い頃だった。義妹の家のリビングを暗くして、でかいプラスティックのボウルにポップコーンが入ってて、「食べる?」と訊かれたが断った(ポップコーンはそれほど好きではないのだ)。
義妹のところの子供はまだ小さくて、うちの娘は8歳くらいだった。彼女の3番目の子はまだ存在してなかった時代。
なぜこんなことを書いているかと言うと、ついこの前、娘から訊かれたのだ。
「ねーねー、昔、あなたたちLの家でタイタニックみてたよね。あれって、なんで?」
わたしは最初から最後までみていない。
というのも、あの映画は苦手だったし、それに何より、義妹夫婦がソファに座ったかと思うと義弟が義妹の肩を抱き寄せて、きっとそれはアメ人夫婦にとってはごくごく普通のことなのだろうけれど、ちょ、ちょ、ちょっと待って、、、、と思う間もない自然なcuddleで、んーーーーーーんーーーーー、よし、彼女たちがなるべく視界に入らぬようにしなくては、、、と映画に集中しようと思ったが、映画もねぇ、、、兄夫婦と妹夫婦とで集まってみるような内容ではなかった、わたしにとっては、そして夫も同じらしかった。
わたしは子どもたちの様子を見に行くふりをして、度々その場から離れたし、夫も似たような感じだった。がっつりと見入っていたのは義妹夫婦だけだ。
娘曰く、
「あの時、L泣いてなかった?」
知らん。知らん知らん知らん。彼女たちのこと、見ないようにしてたから。
いや、でもそう言えば泣いてたような気もする。忘れてたけど、そうだったかもしれない。見てはいけないものを見てしまったような、一緒にいてはいけないところに居合わせてしまったような、とにかく強烈な違和感を覚えているだけだ。
もしかしたらわたしはあの映画を最後まで見たのかもしれない。ただ、記憶からごっそりと削げ落ちてしまっただけなのかもしれない。
「友達と話してて、親がタイタニックを見てた記憶があるって、そういう話になって・・・うちらの親世代って、タイタニックなのかなーってなって」
と、娘。
「良い映画だよ。ってか、わたしはディカプリオが好きだからってのもあるけどー」
当時の階級差とか、そういうのも描かれていて考えさせられる、とかも言っていた。
いやいいのです。悪い映画だとは思っていません。それどころかきっと素晴らしい映画なのでしょう。
でもきっとこの先も見ることはないような気がする。それはきっと映画に原因があるのではない。ような気がする。
という、どーでも良い話。