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三献

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1/2/2019







Happy New Year!

2019年になりました。新年明けまして、おめでとうございます。

時差の関係上、(こちらの)大晦日朝から昨日まで、娘や姉たちから何度か「おめでとう!」のやり取りが続いた。「そっちはまだ明けてないけど」とか「そっちもう明けたよね?」とか言いながら。その度に時間というものが人間世界において便宜上、作られたものなのだな、と感じたり、地球が自転している様子を思い浮かべたり、なんとも不思議な気持ちになる。

わたしの故郷ではいわゆる「おせち料理」というものがない。その代わりにあるのが、「三献」サンゴン、と呼ばれる儀式。
一の膳(海の幸のお吸いもの)・・・出汁が鰹、昆布
二の膳(お刺身)
三の膳(山の幸のお吸いもの)・・・出汁が鶏肉
ちなみに、一の膳を食べ終えてから二の膳に、二の膳を食べ終えてから三の膳、となる。
物心ついた頃からお刺身が苦手なわたしは、二の膳ではタコとイカの刺身だけをいただき、残りは姉や弟にこっそりと食べてもらったものだった。
この儀式は家長が指揮をとり、本来ならば各膳の前にお猪口で焼酎が出される。こどもの頃は真似事だけだったが、大人になってからは、たとえ焼酎が苦手であろうと「舐めるだけでいいから」と言われ、その通りにやってきた。
家長はもちろん、母だった。
長いこと、母がその役割を担っていたが、病状の悪化とともに出来なくなってしまった。そもそも、年末年始は体調を崩して入院ということが多かった。

思い返せば・・・最後に母と年末年始を過ごしたのは、娘の成人のお祝いの年だった。「成人式に着物を着てみたい!」と言う娘の希望に、ちょっと無理をして応えた形の短い帰省であったが、今になってみると、やってあげて良かった、と、心から思う。
わたしのPC部屋には、あの時に撮影した家族写真が飾られていて、母はわたしと娘の間に座ってニッコリと笑っている。姉たちと姪っ子も一緒だ。こうやって振り返ってみると、なんだってちゃんと導かれていたのかなぁ、なんて思ったりもする。今更ながら、だが。
だからこそ、「今」を、丁寧に存分に味わいながら楽しむことなのかもしれない。


夫と結婚してから、ズボラなわたしは日本の伝統なんたらを自分の良いように軽んじてきた。アメ人と結婚したんだから、というのが理由だ。そもそも、元々クリスチャンである自分は普通の日本人とは違っていて、日本の色々なことに疎かった、というのもある。
しかしながら、今になって少しばかり反省している。
「三献」は、続けるべきだった。
父亡き後、母が守り続けたお正月の儀式。やろうと思えば、できないことはなかった。夫もわたしも娘も、3人揃ってお刺身は食べられないけれど、、、それでも、、、、無理は承知の助でーーー。

娘は島で姉3作の三献をいただいたようだ。あー羨ましい。
姪っ子からも姉1による渾身の三献の写真が送られてきた。美しい!!
こちらでクリスマスなどのHoliday Dinnerには普段使いのものと違ったお皿が使われるように、日本でもお正月用の器があったなぁ・・・と、思い出した。
そういうことって、大事だ。と、あらためて思う。

わたしはと言うと・・・昨日は夫のリクエストで Gumbo を作った。それがわたしたち夫婦の今年の正月料理。大きめの海老を使って、ちょっと豪華な感じにしてみたけど。


娘が家を出、自立して数年。
わたしたち夫婦が結婚した年齢も過ぎたせいか?この頃は娘が子を持った時には・・・なんて想像をしてしまう。えええええ!!自分でもびっくり。少し前までは想像どころか、そのような発想にすらならなかったというのに。もしかすると近々そういうことになってしまうのかもしれないなぁ。娘に対してできなかったことをしてあげたい、なんて思い始めたら、危険、危険!!良くない良くない、気を付けよう。

でも、「三献」は、やったほうがいいよ、と、娘に言ってもいい・・・かな?








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