性質の違い
8月
4日
昨日の母は不機嫌だった。
一時帰宅の混乱が続いているのかもしれない、と感じた。わけがわからぬまま自宅へ帰り、ここが自宅だよ、と言われ、さぁ時間なので行きますよ、と病院へ戻った。何が何だかわからないまま、その不安や混沌とした気持ちを表出できずにいたのかもしれない。だから、わたしの顔を見て(それが4娘だと認識して)、怒りを表出できたことは良かったのかmしれない、と思う。もちろん、当たられた自分はちょいキツイけどね。でも母の辛さに比べたら、です。
母の不機嫌さはそれほど長くは続かなかった。ある程度、気持ちをぶつけたら幾分すっきりしたのかもしれない。真っ向から受けないことも大事だと思う。母には制御できないことなのだから。
怒りがおさまっても、不安は残る。母の表情はいつもより硬かった。認知障害はひどい病気だなと思う。本当に、大変な病気だ。
食事量は相変わらずだけど、自分から手を伸ばし、器を持って食べる=口へ運ぶ作業をするようになったのが嬉しい。わたしは、いつも食事が始まったら、そっとその場をはずして帰る。その後、看護師や助手が代わって介助することになっている。わたしたちも、(たぶん)母も辛いけれど、わたしがずっとそばにいると、家へ帰ってから食べるからもういい、と言って食べなくなってしまうからだ。とりあえず、入院中はこの方法でいくことになった。それに、わたしはもうすぐここからいなくなってしまう。姉はわたしが母のもとを訪れる時間帯にはまだ仕事中だ。だからどのみち、夕飯の介助はできないのだ。
そんなわけで、母のところをそっと出て、家へ帰った。母のところへ行けるのも、今日、明日の2日だ。土曜日は飛行機の時間があるので、もしかしたら面会できないかもしれない。あぁ、、、なんだか寂しい。6月9日から島へ来て約2か月。毎日まいにち母の元へと通ったが、思えばあっという間だったな。。。
昨日、母のところから戻って洗濯物を取り込んでいると、姉に電話があった。それは生徒からだったようで、突然だが生徒が3人、泊まりに来てもよいか、ということだった。それを知らされたわたしは正直、がっかり。ちうか、凹んだ。驚いたよりも何よりも、気持つが萎えた。いいか?と訊かれたので、嫌だ、と答えると、なんで?と。気を遣う?と。
もちろん気を遣うよ、と答えると、姉は悲しそうな顔をしていて、それで余計に辛くなった。そして思い出した。そうだった。姉はいつも生徒優先だったんだっけ。
県大会を終え、中学3年生が表面上は引退。だから生徒たちも気持ちが緩んでいる。夏休みというのもあるし。そして姉もまた、中3を送るのに躊躇?がある。移行期間。だからこうしてイベントをつくるのだ。
ふと思い出した。昨日の昼間、書類手続きで姉と役場などへ行っていたとき、姉がこう切り出したのだ。「hがm姉ちゃんに三味線おしえたーい!ってうるさいんだよね」
なんのことかと思うと、以前(もうずっと前のこと、わたしが島に来たばかりの頃だ)、姉の恩師の訃報があった際に諸事情でうちへ泊ったhちゃんに、わたし自身がそう言ったのだという。あの頃は姉3も長兄もいて一緒にゆらっていたので、酔った勢いでそう言ったのだろう、忘れていたけれど。
「ああああ、姉ちゃんだから今日hが三味線教えたいって言ってたとか言ったんだ?ってことはもうそういう風に企画してたんだ?」
「いや違う違う!」
姉は否定していたけれど、きっとそうだと思う。わたしにそれとなく情報を与えていたのだと思う。
あぁ、ごめん。。。それでも3人お中学生が来るのはキツイ。島での暮らしももうすぐ終わる。わたしは姉と静かに過ごしたい。あの若い子たちのエネルギーはちょっと辛い。今は、辛い。
結局、姉から断りの電話を入れてくれた。申し訳ない。姉は、生徒たちが勝手に決行しようとしたことだからいいのいいの、と言ってたけれど。ちょっと罪悪感。プラス、姉とわたしの性質の違いというのをあらためて思い出した。姉2とうまくやってきたつもりだったけれど、そうだった、これがあったなぁ、と今更ながら。いやはや。。。やっぱり一緒に暮らすって、難しいもんだね。
今朝、姉は元気に仕事へ行った。午後からは引退する中3の生徒たちと海水浴で、わたしもそれに招待されている。なんとかボート(ジェットスキーのようなもの)に乗せてくれるらしい。わたしは母のところへ行った後、海水浴に向かうことになっている。
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