言葉の裏/P命日
3月
6日
娘の所属する日本語プログラム主催による日本語スピーチコンテストを見に行って来た。6時半開始のところ、駐車場が見つからずに遅れて入ったのだが、開始時間はさらに遅れたのでまったく大丈夫だった。娘が玄関まで迎えに来てくれることになっていたのだが、突如、通訳に借り出されたとのことで壇上に。Rくんの案内で会場へ入ると、なんと友人のEが息子くんと一緒にいてびっくり。嬉しいサプライズであった。
スピーチは日本語1年生から始まり、2年生、3,4年生部門に分かれての発表だった。1年生の日本語がどれだけたどたどしいかと思ったらなんのなんの、皆、結構流暢に喋るので驚いた。きっと、発表するということに慣れているせいもあるのだと思う。威風堂々としている。内容としては、わたしの好きなキャラクターとか、わたしの彼女(1年生部門で優勝した)など、微笑ましいものから、言語の必要性とか、憲法9条の是非について考える、などという難題なものまであった。娘のようにハーフの学生もいて、色んな人のそれぞれの人生の歩み方について思いを馳せた。あらためて、娘が今こうして2カ国語を操れることに感謝する。
閉会の挨拶は、娘が以前とっていた翻訳の講義を教えていたH教授だった。ユーモアを交えながら話し、さすがに頭の良い人だと思わされたのだが、それ以上に、心熱くなるとても素晴らしいスピーチだった。彼の、日本でのお父さん、お母さんと呼ぶほどに親しい友人夫妻との思い出からの話だったのだが、最近、そのお母さんから久しぶりにメールが来たそうだ。メールで彼女は、彼の生活について色々と話していたらしい。そこで彼はちょっと考えた。おかしいな、という気がしたのだと言う。なぜかというと、「お母さん」はダイレクトに彼女の生活のこと、彼女たちのことを話すのが常だったのに、なぜ彼女自身のことは何も語らず、彼についてばかりを語っているのだろう。そして最後にこう書かれていたという。去年は大変なことがありました。それについては、また後になって話せるといいですね。これで彼は直観したのだそうだ。お父さんのことだ。そして彼はすぐにお母さんに電話をかけたと言う。案の定、お父さんは去年、病に倒れ、11月に亡くなっていた。
彼の言いたいことはこうだった。日本在住時、日本語をまだよく話せない自分の言葉の裏側を察して、僕が何を言いたいのか何を伝えたいのかを考えながら聞いてくれたのが日本のお父さんお母さんだった。今回は僕がその役をしなければならなかった。言葉の裏側にある思い、言葉にしない思いは何なのか。
皆さんも、言葉の裏側を聞ける人になってください。言葉に出来ない思いを感じ取れる人になってください。
日本人の、察する心、である。それをこのアメリカ人であるH教授は身に付けていた。それは何年かかけてのものだったのかもしれない。「知識」としてのものではなく、「心」でそれを体得した。凄い。。。思わず、夫のことを思い出してしまった。彼はどうだろう。わたし自身、彼はアメリカ人だから言わなきゃわからない、と決めつけてしまっていたかもしれない。思えば、夫もまた、わたしの心を、気持ちを汲み取って行動してくれてる節がある。そういう部分を、もっと優しい目で見ないといけないなぁ、、と感じた。
思いがけず遅くなってしまったのだが、最後まで残ってH教授のスピーチを聞けたことに感謝だ。
実は昨日、出かける直前にDからのtextに気付き、今日のスケジュールを貰って少し憤慨していた。また、新クライアントのところへ行かなくてはならない。遠いところ。そして2時間予定が3時間かかってしまった、あのクライアント。
正直、自信がないのだと思う。だからと言って、断れるものではないし(それはアンプロフェッショナルだ)先延ばしに出来るものでもない。あと何回、彼の訪問に行けるかわからないが、全力で(大袈裟な言い方だが)やるしかない。前回、何をどうしたんだっけか?と思いを巡らせてたら夜中に何度か目覚めてしまった。なんて小心者。自分でも笑える。
朝8時からその訪問が入ったので、当初の予定とはまた違ったスケジュールになってしまった。MsGに予定変更を伝えるべく電話を入れてみたが不在だった。しょうがないので、今日、クライアントの訪問を終え次第、連絡しようと思っている。気が重いーーーーーけど、そんなことを考えずに行こう。
今日は3月6日。Pの命日だ。あの日の午後のことを忘れない。夜はPのことを思いながら、D&Cと過ごそう。娘は講義で遅くなるし、夫もまた仕事で不在だ。