A Time for Everything
8月
13日
6時45分起床。
夫が4時過ぎに仕事から帰宅。その後に起きようかとも思ったが二度寝してこの時間。今日は娘の眼科受診。午後1時の予約で12時20分に義母をピックアップして一緒に出かける。受診後にランチの予定。
Mr.JHのFuneralのことを書いておこう。
家族愛の感じられる素晴らしいセレモニーだった。
音楽家である義息子と孫によるギター&バイオリンの演奏。Mr.Jの好んだ歌なのだろう、厳かにしめやかにそして美しく流れてくるそのメロディにまた涙した。
教会での式の途中、Cが泣き崩れそうになったとき、ひ孫である小さな男の子がCの膝へ座り、Cをなだめながら彼もまた嗚咽していて、その姿に心打たれた。彼の写真はMr.J&Cの部屋にいくつも飾られていたので、わたしにとっても近い存在だ。その彼が一生懸命、ひぃおばあちゃんのことを助けようとしている。
cemeteryでの式の後、Luncheonも一緒にした。当初、ランチまでは、、と思っていたのだが、レジデンツやNOKKO、JFがいたので。
ランチではCの様子も大きく変わっていった。家族や友人、親戚らが、Mr.Jとの楽しい思い出を語る。それはCに笑顔をもたらす。Cもまた古き良き思いでに浸り、それを楽しんだ。
儀式というのは、愛するひとを送るのに、とても大事な、必要なステップなのだなぁ、と心から思う。思いきり、泣き、思いきり、悲しみ、そそて、この儀式を経ることによって、心の区切りをつける。それは確実に行われるものなのだろう、心の奥底の、見えないところで。そう思えてならない。悲しみが癒えるまではまだまだ時間を要する。それでも、ひとつの区切りとして、見送る。
そのステップをともに分かち合えたことに感謝したい。
そして、Cの、ご家族の、これからの心の平安を、お祈りします。
教会はUnited Methodist Churchであった。
そこの牧師さんのお話の中で話された聖書の言葉を引用したい。
頷きながら聞いた。
A Time for Everything
For everything there is a season, and a time for every matter under heaven:
a time to be born, and a time to die;
a time to plant, and a time to pluck up what is planted;
a time to kill, and a time to heal;
a time to break down, and a time to build up;
a time to weep, and a time to laugh;
a time to mourn, and a time to dance;
a time to cast away stones, and a time to gather stones together;
a time to embrace, and a time to refrain from embracing;
a time to seek, and a time to lose;
a time to keep, and a time to cast away;
a time to tear, and a time to sew;
a time to keep silence, and a time to speak;
a time to love, and a time to hate;
a time for war, and a time for peace.
検索してわかったのだが、コヘレトの言葉と呼ばれるものらしい。旧約聖書にある。カトリック信者でありながら、これまで教会でこれを耳にした記憶がないとはなんたる・・・。