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  • 2月9日

2月9日

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2月10日




2月9日はわたしの父の命日だ。
が、同じ日、義父の命日となってしまった。


9日、12時過ぎに夫が帰宅。これまでの経緯を説明、夫は口数が少なかった。それから1時間半後、義妹から電話、夫が飛び起きて電話に出ると、義父の訃報だった。


あの夜、娘にも電話をして話したとき、この週末持たないかもしれないという言葉が医師からのものではなく義父たちの所属する教会の牧師の言葉だったということで、それは信用できないとか、早まって今行くよりは、とか、わたしがホテルをキャンセルしたことに対して、ダディに言う前にそれをしちゃったのは良くなかったんじゃないか、とか言われ、医療の場にいた人間としての直観であり、たとえそれが早まったことであって、治療がうまく行って落ち着いたというのであればそれに越したことはないではないか、お金とか時間とか労力とかは、2の次で良いのではないか、と、やや感情的に答えてしまったのだが、、、こんなにあっけなく訃報が届いて、、飛行機のフライト時間とかも、もう関係なくなってしまった。どんなに急いで駆けつけたって、義父の命はもう尽きたのだ。


夫は悲しみに塞ぎ、最初は一緒に寝ていたが途中で娘の部屋に行った。ひとりになりたかったのだろうと思う。


昨日の朝は、夫が起きて来る前に義妹と電話で何度か話す。彼女も気が動転していて、「どうしたら良いのかわからない、本当にどうしたら良いのか、、、」と言っていた。わたしは、とにかく今後の予定の詳細を知るべきだということ、visitationとfuneralの日程に合わせて出かけたほうが良いのではないかということを話した。義父が逝ってしまってた後、義母(夫や義妹にとっては継母である)はわたしたちを彼らの家に泊めるなどのはからいは出来ない様子だろう。周辺のホテルに泊まることになる。そして、どこまで手伝えるのかもわからない。義母の家族との交流はまったくないし。

夫が起きてきてから話をすると、彼は最初、わたしは同伴しないものだと思っていたようだ。何を言うのか、もちろんわたしは同伴します。仕事は休む。どうにでもなる。
それを聞いた夫は少し安心したようだった。以前、義父が危篤状態だと聞いた直後、わたしが夫と義妹だけ早めに行くべきだ、わたしは犬たちの世話をするから、と言ったので、誤解したのだと思う。あのときとは状況が違う。あのときわたしは、彼らだけ先に飛行機で行って貰って、何かあったときにわたしと娘とで車で行こうと思っていたのだった。


娘。
娘を連れて行くかどうかで、少々、もめた。わたしとしては連れて行きたい。夫は複雑な事情から、どうしたら良いのか、、と悩んでいる様子だった。大学があるだろう、とも。
決めきれない夫を尻目に、娘に電話。彼女はもう21歳になったのだから大人として自分で決断して欲しかった。同時に、わたしの気持ちも伝えた。
結果、娘は一緒に行く、と言う。彼女もまた夫のことを気遣い、ダディが一緒に行って欲しくないのであれば自分は残る、というようなことを言っていたのだが、わたしが押した。あなたのグランパなのだよ、と。


お葬式用の服も買わなくてはならないので買いものへ行くことを伝えると、夫もスーツを新調しなkyてはならないことに気付き、一緒に行くことになった。そしてついでにそのまま娘を迎えに行く。

夫は夫妻でいたが、だんだんと気持ちが落ち着いたようだった。特に娘と合流してからは少しずつ元気を取り戻した。血のなせる業だと思った。夫の父、娘の祖父。



今日はNLに換わって6時〜14時と仕事。そして月曜から水曜まで休みをいただいた。火曜はJFがわたしの代わりに仕事してくれる。ありがたいことだ。
仕事から帰って来たらすぐにでも出る予定。一緒に行くのは、わたしたち家族3人、義妹夫婦。義妹のところの3人の子供たちは出席しない。








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