6月7日 少し前にネットニュースで「バチカンスキャンダル!」というのがあって読んでみたのだが、ざっと説明するとバチカンの資金管理をしていた枢機卿だかなんだかが解任(もしかしたら辞任?)したのは警察が動き出す前にバチカン内で疑わしきものは前もって一掃しようという動きのせいではないか、といったもの。詳しい事情はわからないが、どうやらバチカン銀行とマフィア?との営利的な繋がりがあるとかなんとか。そういったよろしくない噂にいち早く手を打ったのには、実はもっと隠しておきたいことがあってそこに触れられぬよう、自ら動き出したのだとかなんとか。 とにかくこれはまだ現在進行形の筈で、正直なところ、あぁやっぱりあのきらびやかな聖堂や教皇、枢機卿たちの衣装?やらには金がかかってんだなぁ、、、信者の献金なんだろうなぁ、、、と。イエスを見習って質素であるべきなのに。なーんて、自分のことは棚にあげてそう感じていたので、やはりそうかという、知ってはいたががっかりと、落胆。 で、このニュースの中で「かのヨハネ・パウロⅠ世が思い出される」というくだりからの彼の暗殺疑惑などの記事を読んでびっくり。あの、アンタッチャブルのシーンはそこからヒントを得て入れ込まれたのだとも。えぇ?あれって作り話だと思っていたのに。なななんてこと! それから、もっと知りたいと思って色々と検索していくうちに、バチカンの認めた(公認した)世界の奇跡とか、マリアの出現とかに広がって、このところそういったものを色々読んだり見たりしていた。ファティマの予言に至っては、第三の予言は公開はされたものの一部でしかないのではとか規模をかなり小さくしたものではないかとかの噂もあるらしい。 今夜は、日本の秋田のマリア(涙を流すマリア像)の話を見ていて、マリア様のお告げを聞いたシスターの話で「とても厳しい感じで話されていました」という話を聞いているうちに、今、再読している「イエスの受難」を思い出した。 イエスの受難。この本の著者、シスター/マリア・ワルトルタによると、イエスは「今の人間はわたしの受難をわかっていない」ということを言われた、とある。「人間はもっとわたしの受難を詳しく知るべきである」といったことも。 これを初めて読んだときは、イエス様がそんな厳しいことを言うなんて・・と感じた。イエス様はどんなときも穏やかであわれみ深くて優しくて・・と思っていたので。 きっとマリア様もそういったことを言いたかったのかもしれない。 Cに噛まれた小さな傷でひぃひぃ弱音を吐くような自分が恥ずかしくなるね。