5月14日 娘から母の日の贈りものをいただいた。 今年は予感があって、きっとアートクラスで描いた絵だろうと思っていた。お金ないだろうし、前から欲しがってたの知ってるだろうと思ってたし。 中身は絵ではなくて絵を描く材料だった。つまり、色鉛筆とか筆とかチョーク(チャーコール?)とか、そういうの。アートクラスのために用意したすべて。 あぁもうアートクラスを取るつもりはないんだな・・と、わかった。それは仕方のないことだと思う。でも、ちょっと淋しい気持ちになった。クラスを取ることはなくても、これからも描くだろうと思っていたし、だからこそ、揃えたものを大事にして使って欲しいと思っていた。でも、もう不要なんだね・・。 娘はわたしのそんな気持ちを知ってか知らずか、たぶんわたしが喜んでいないという風に感じたのだろうね、とてもがっかりしてたし、怒っていた。ごめん。演技でもなんでも喜んで受け取るべきだったよ。いや、演技であっちゃならんのだな。どんな贈りものであれ、あなたの気持ちを尊重して喜ぶのが本来?なのだろう。 淋しい気持ちになった理由を考えてみた。 ひとつは、さきにも書いたとおり、あなたがもうこの材料を必要としないということ。それが淋しかった。しかしこれは一方的な想いだね。ごめん。 もうひとつは・・これ、どうなんだろうって今でもわからないけれど、本当にこれがあなたの贈りたかったものなのかな、、ってことだ。贈りものを考えるプロセスがどうだったんだろう、って・・片付けをしていて、この材料はもう不要だ、でも捨てるわけにはいかない、そうだ、母に贈ろう、母は絵を描くの好きだしね! という感じかなぁ。そうなのかなぁ、、、なんだか薄い感じがするのだよ。これでいいや的な、、、 あれこれ考えているときに、買いものへ行こう!わたし、全然ショッピングに行ってないんだよ、買いたいの色々あるんだよ!と言われたのも、あれ???って思ったのだ。お金、あるんだー?って。 極めつけは、タトゥーを入れたいなって思ってるんだけど、どう思う?と訊かれた!えええええ?って感じ。$50とかで出来るんだよー。 考え込んでしまった。 わたしにお金を使って欲しい、っていうんではない。けっしてそういうことではない。お金なんてモンは自分の好きなものに使えばいい。それでいい。 でもなぁ、、、なんだかしっくり来ないんだな。 わたしは気持ちが薄いんだろか。 娘の携帯がぶっ壊れかけている。新しいのにアップデートと言いつつ、その機会を逃していた。この夏には、という話が出ている。それは、わたしが買うつもりだった。でもそれってどうなんだろう?彼女に自分で買って貰ったほうが良いんじゃなかろうか。自分の好きな機種を自分のお金で。 ラップトップもそう。こちらも来年度のセメスターが始まるまでに買う予定だ。これはカレッジで必需品だから、こちらで買うべきだろう。そんな大金、彼女はないものね。いや、しかし、はたしてどうだろうか。彼女に自分で選ばせて自分で買わせるべきなのか。 自分の密かな、そしてとても強い想いが、ここにあるって証しにしたい。と言っていた。タトゥーのこと。 それなら別の方法を探せば?と言ってみた。タトゥーじゃなく、別の方法で。 簡単な方法を選んでいるように思えてならない。 しかし彼女の人生だからね。どんな馬鹿な方法を取ろうが、それは彼女のものだ。親であるわたしたちにコントロールする権利はない。 見守るって、じれったいね。