日米なんちゃって和平
4月
12日
ちょっと思い出したのでメモ。
この前、娘が帰って来たときに「手紙」の話になった。東野圭吾著の「手紙」のことだ。が、彼女のそれは映画らしい。日本語の授業でその映画をみているのだと言う、分割で。
映画になっていたとは知らなんだ。誰が出ているのか訊いてみると知らないひとの名前ばかりだった。ひとりだけ知っていたのは沢尻エリカ。しかも彼女が白石由美子役だと言うので驚き。まぁそれは置いておいて。
娘は、この「手紙(映画)」をみていてイライラするのだと言う。犯罪者の家族をもつ者の罪悪感のようなものが理解できない、というようなことを言っていた。いや少し違うかな。少しは理解できるがうじうじしているあの態度が許せない、というような感じだったかも。もっと堂々としてなさいよ、と言っていた。まるで白石由美子。あと、設定があり得ない!とかも言ってたかな。
わたしが本を持っていると言うとちょっと驚いていた。貸してあげるから読みなよ、と言いながら、内容の詳細を思い出せない。はてどうだったかな。強烈に残っているのは、後味の悪い読後感。気持ちはわかるような気もするが、はたして、、、というざらっと重いものを感じたのは覚えている。希望の見えない、という感じ。
というわけで、娘に貸す前にもう一度読んでみることにした。気分がまた落ち込みそうだけど。
そう言えば、この話を彼女とていたとき、日本人はとかアメリカ人はとか、そういう言葉を連発していたな気がするのだが、突然、運転していた夫が怒り出した。理由は、その会話の内容とはまったく別のことであったのだけど・・・なんとなく今になって、実はこの会話の内容も怒らせた誘因になってたのかもしれないな、と思い始めた。別にアメリカ人を責めるような内容ではなかったけどね。たぶん、蚊帳の外、という気持ちになったのか或いはいつまでたっても日本人アメリカ人という枠があると感じたのか。そらね、枠はあるよ。いつまでたってもあると思う。それは国だけじゃないんだけどね。人間としてのね。でも、国の枠だけに限って言えば、いや違うな、人間としてもある意味そうかな、その枠を繋ぐというか重ねるところに位置しているのが娘なんだなぁ・・・なーんて思った。
さて、雨がやってくるらしい。寒いけれど昨日の作業の続きをするよ。