今週火、水、木曜日は詩の掲示板へ投稿された作品に評を出す担当だ。数年前まで、ひとの詩を読むくらいなら、自分が詩を書く時間にあてたい、と思っていた。なんとも成長を伴わない思考をしていたようである。そして、このような機会を与えて頂くと自分の読解力がないことに気づき慌て、なんとか想像力を膨らませて対応している。すぐに雰囲気をつかめる作品、難解な作品等、読み込んでいくと今まで見えなかった世界を堪能することができる。そして、作者のもとから離れた作品は読者の数だけ世界が広がる。今まで二度ほど評を出してみて、作者から「そういう捉え方も……」というご意見を頂いた。詩はこのセレンディピティ要素が濃い芸術ではなかろうかと感じる。そこが面白い。ただ、的を外した評を書いている言い訳のように聞こえてしまうだろうが…… 評を書く時はとても集中する。詩を書く時とはまったく違う脳の部位を使うのだろうか、文章が纏まった時の達成感に充実をこれでもかと得るのである。幸せなことだ。ありがたいこととだ、感謝。ということで評を書くこと、私は好きみたいだ。できの良し悪しは置いといて……、もっと勉強するぞ! 作品をお待ちしております!
頚椎にある脊柱管の神経がまた潰れているようだ。四年前にインプラントで対応したが、左手でiPadが一分持っていられない痛み、痺れ。思っていたより早い草臥れ方だ。詩でやりたいことが崩れてゆく。もし、両手が使えなくなっても詩は書いてゆく、そう決めたのだから。足でも書ける。明日、受診しよう。
最近、詩に関わる環境が変わった ノートに向かうだけの詩だったけど 詩の掲示板、詩のブログ、詩人会、詩人会の理事、詩の評者と ここ一、二年で変わってしまった 偶然と自分から変えようとしたからだろう これは自分のため、誰かのためへ 詩を書くことがプラスに向かっていると思っていた しかし、自身へ批判的精神がないとブレてしまう 気合いを入れて書いた詩がそうでないということだから ここは戻るべきだろうか、自分だけの詩なら誰もイライラさせない どちらでもいい、もうどちらでもいい 答えはたぶんないし、正解も間違いもない どちらでもいい、もうどちらでも 少し時間が必要みたいだ 今日は頭がフル回転している 眠れそうにないが、古傷も痛むから横になろう それでも詩が嫌いにならず元気でいようとすることに 何の変わりはしないのだから
製本の道具で今までで一番大きな出費。 5000円だ! 紙を正確に半分切るというのはかなり技術がいる。 なっ、わけでそんな道具を購入。 うーん、思ったより枚数が切れない、 正確に切れる鮮度が定規とカッターを 使った時と同じぐらいだろうか。 まあ、それでも手軽に切れ、大量製本向きだからよしとしよう。
頼まれ、スケジュール帳の用紙をもらい製本してみた。 和装本は強度バッチリだが、 ソフトカバー型の見返し部分がさっそく少し剥げる。 ボンドを使い修繕。 うーん、あそこは折った紙を使用することにしよう。。。
来週よりネット詩誌 MY DEAR の掲示板に投稿された詩作品へ評をだすことになった。そこでは私も沢山の作品を投稿し、すべてに丁寧で心ある評を頂いていた。そのおかげで、詩が読めるものとなり、また楽しく書けるようになった感謝は忘れられない。 そして、まさか私が評を出す立場になるなんて夢にも見ませんでしたので、びっくり仰天。しかし、詩の楽しさは伝えたいと以前から思っていたので、この機会を活かすよう懸命に取り組もう。 さて、どうなるのだろうか? やってみないとわからない。ただ、私の評期間中に作品が来るのだろうか、そんな不安もあるが、今回はもうひとりの評者さんとチームを組み行うので、その方の人気にあやかろう。 さあ、かかって来いや〜