【山陰中央新報・鳥取】 父の形見の日章旗、返還 長男・火山司さん涙/SANINCHUOU - "The Return of My Father's Keepsake: The Japanese Flag - Eldest Son, Tsukasa Hiyama, in Tears"
8月
26日
太平洋戦争時、米陸軍兵士が持ち帰った日章旗の持ち主が、鳥取県日南町出身の旧日本軍陸軍兵士で戦死した火山(ひやま)行一さんと判明した。25日に同町であった返還式に参加した遺族は、火山さんが出征した日に生まれたという長男の司さん(81)=米子市上後藤4丁目=。顔を知ることができなかった父の形見に触れ「これからじっくりとかみしめたい」と感無量の様子だった。
火山さんは21歳だった43年7月に出征。陸軍の独立戦車第一旅団砲兵隊に所属し、45年8月17日、旧満州の奉天市(現在の中国・瀋陽市)付近でのソ連軍との戦闘で戦死した。
日章旗は、米兵が何らかのいきさつで米国に持ち帰り、自宅に保管した。譲り受けた孫が2017年、遺品の返還活動に取り組むオレゴン州の非営利団体「OBON(オボン)ソサエティ」に、遺族の捜索と返還を依頼した。
日本遺族会の協力による同団体の調査では当初、武運長久の願いを託された旗の持ち主とみられる「火山」という名字が福岡県に多いことから、九州地方を中心に捜索。発見に至らず一時中断していた。
その後、寄せ書きをした主の名前に「相見」や「八司」といった鳥取県西部にある名字が認められ、的を絞った結果、今年4月、司さんにたどり着いた。
同町霞の町役場であった返還式には、遺族や来賓など約30人が出席。日章旗は中村英明町長から司さんへと手渡され、司さんは涙ぐみながら受け取った。これが唯一の遺品だといい「父親が当時何を思っていたのか想像してみたい」と語った。