太平洋戦争中、フィリピン・ルソン島で戦死した香川県観音寺市の成岡明さんが戦地に持参した日章旗が、米国から79年ぶりに遺族の元へ返還された。遺族を代表して受け取った成岡さんのおい、義一さん(67)は「故郷に返ってきて、伯父も喜んでいるだろう」と語った。
成岡さんは1921年、旧三豊郡(現観音寺市)の農家の長男として生まれた。義一さんによると、字を書くのが好きで、穏やかな性格から近所の人にも好かれていた。第134飛行場大隊に所属し、45年5月、激戦地だったルソン島のマニラ東方山地で戦死したとされる。ただ、詳細はわかっていないという。
日章旗は縦23センチ、横32センチ。「祝出征」「贈成岡明君」という文字とともに、当時、成岡さんが働いていたとみられる会社名や約20人の名前が書き込まれている。
観音寺市遺族連合会によると、日章旗は米兵が戦地から持ち帰り、その子どもの米アイダホ州在住、ボブ・ブルーイントンさんが保管していた。日章旗などの遺品を遺族へ返還する活動に取り組む米オレゴン州の非営利団体「OBON(オボン)ソサエティ」が仲介し、実現した。
今月23日に観音寺市大野原支所で行われた返還式で、義一さんは、県遺族連合会の三谷等会長から日章旗を受け取った。ボブさんからの「父は戦争について語らなかった。この品物をお返しすることで、心の平穏がもたらされますように」との手紙も渡された。
成岡さんの弟で、義一さんの父の一男さんは、戦争や成岡さんの戦死についてあまり語らず、5年前に亡くなった。
義一さんは、成岡さんの遺骨が戦地から返ってきたのかも不明といい、「今回の返還の話があった時は、突然のことでびっくりした。日章旗は初めての伯父の遺品といえる。父が生きていたら喜ぶと思う」と話した。
自宅の仏壇の上には、成岡さんの肖像画があり、日章旗も仏壇に飾る予定だ。義一さんは「こうして日章旗が返ってきたことは、子どもや孫に語り継いでいきたい」としている。