中日新聞/遺骨もなく戦死した叔父、日章旗が78年ぶり里帰り(Uncle killed in battle with no remains, Nisshoki returns home after 78 years)
10月
12日
日章旗を受け取った元郵便局員石原勝彦さん(65)によると、力三さんは農家の6人きょうだいの長男として生まれた。戦時中は歩兵第63連隊に所属し、終戦間際の8月4日に戦死した。家を継いだ弟の忠治さんが勝彦さんの父で、6年前に90歳で亡くなるまで力三さんの供養を続けていたという。
連隊は旧満州(中国東北部)から台湾を経てフィリピンに向かい、全滅状態に陥った。激戦地で死んだ力三さんは一片の遺骨さえなく、重機関銃のそばで撮影された軍服姿の写真1枚だけが残されていた。
日章旗には「祝入営石原力三君」と書かれ、「祈武運長久」の文字の下に164人分の署名がある。日付は入っていないが、近所の人たちが協力して用意したらしい。旗には茶色に変色した染みがあり、血痕のようにも見える。勝彦さんは「平和な時代に育ったから、戦地に行くのが当然だった当時の生活は想像できない。まさか今になって伯父の遺品が戻ってくるとは思わなかった」と話す。
郡上市遺族会の神座(みざ)孝郎会長(80)によると、日章旗は米バージニア州の米軍兵士の遺族から、日本軍兵士の遺品を返還する活動をしている「OBON(おぼん)ソサエティ」=オレゴン州=に託された。日本遺族会は石原力三さんの名前を手がかりに、郡上市の出身者と判断。市遺族会白鳥支部長の原喜与美さん(76)が調査を進め、静かな山間部にある力三さんの生家を突き止めた。
自身も父を戦争で失っている神座さんは「日本からフィリピン、米国と長い旅をした日章旗が奇跡的に帰ってきた。力三さんもやっと、古里の郡上に戻ることができたのではないか」と話す。伯父が残した日章旗を手にした勝彦さんは、寺で供養してもらった上で、戦争の悲惨さを伝えるために市戦没者追悼式での展示に協力することを決めた。追悼式は13日午前10時半から、大和町のやまと総合センターで開かれる。
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