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木蓮のひとり言

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本音と建て前

スレッド
本音と建て前を使い分ける・・・・大人になったら、それは当然の振る舞いだ。

本音を本音のまま出してしまう人は、バカ正直と言っても過言ではない。(私はどちらかと言えば、そのタイプ。だから年中問題が絶えない)

建て前を使うのは何故か・・・。

それはやっぱり、人間関係をうまく繋ぐためだろう。
本当はこう思っているのだけど、それをそのまま言うと相手から嫌われてしまう、または取り敢えず合わせないと話が先に進まない、相手にしてもらえない、そんなことから気を使わざるを得ないのだ。

ただ、建て前だけの人は、要は八方美人なだけのような気がする。
自分の存在価値をアピールするため、自分の懐の広さを見せ付けるため、そんな言動に出るんだろう。

実際、この建て前だけに乗ると痛い目にあうと思う。
本当の本音は違うのだから、上っ面だけ合わせても、人間関係にひびが入るのは間違いない。

このときに入るひびは、壊れてもおかしくないほどのひびだ。
修復は困難だろう。

それならば、先に本音を聞きだし、回避する方が余程相手と良好な関係を保てると思う。

本当の自分はそれを望んでいないなら、NOと言っても、相手との関係は壊れるはず無いのだ。
もしそれで壊れるようなら、その相手と自分は縁が無かったものと見ていい。
自分の人生に必要な人間ではないのだ。

本当に相手と長く付き合いたいのなら、その相手の本音を聞きだすことが一番だろう。
人間、誰しも本音の部分でしか心を開けない。


何故八方美人になるのか。
何故相手が迎合しようとするのか。
その裏を読み取るようにしないと、相手も傷つくし、自分も傷つく。


ただ、自分でも気づいていなくて建て前だけ言ってることもある。
話してて、少しでも引っかかること、まずいかな、嫌だな、と思うことはやはり本音が別にあるわけだから、そこは自省して考えないといけない点だ。

この世で生きていくためには、良好な人間関係は必要不可欠。
思いやりを持って本音を出せるよう、常々考えていきたいものだ。

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ワオ!と言っているユーザー

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おかき
おかきさんからコメント
投稿日 2006-04-12 23:12

そうですね、おっしゃる通り、
思いやりをもって、本音を出したいものです。

本音って、気合いを入れた直球勝負だと思うんですよ。
特に、心を大きく揺らすような剛速球は、
相手が、受ける準備をしていないと、
或いは、受けるだけの器がないと、
伝わらないばかりか、相手を壊してしまう可能性もあるような気がします。

相手を叩きのめすのではなく、
相手の身になって、言葉を選んで、
言った後のフォローまで考える。

そんな思いやりを持ちながら、
本音で話すのは、難しいですけど、
本気で相手の事を考えているなら、
そうする価値は、ありますもんね ^^

ワオ!と言っているユーザー

木蓮
木蓮さんからコメント
投稿日 2006-04-13 11:48

本当に本音を出すのは難しいですね。

私はそれで失敗ばかりです。

でも人間関係を良くしていきたいと思えば、先に自分を制さないと、とですね。

本音をぶつけるのは楽ですが、受ける側のダメージは大きい・・・何だか実感しています。

ワオ!と言っているユーザー

おかき
おかきさんからコメント
投稿日 2006-04-13 21:15

ぼくは、過去に、「本音」は常に「建て前より優れている」、と
思い込んでいた時がありました。

大手のIT企業と仕事(下請けです。)していた頃の事です。
彼らの中には、絶対に本音を言わない人がいます。
多分、死んでも、言わないのではないでしょうか ^^;

だから、がんがん本音をぶつけました。
そう、叩きのめすように。
そうしないと、ぼくのような弱小企業は、
巨大な相手に勝てないと思ったからです。

でも、本音を言わない彼らには、
それなりの事情があるわけで、
いくら、正論をぶつけても、とりあってくれない。

相手の立場も考えず、立て続けに剛速球を投げても、
誰も受け取ってくれない・・・。
今なら、そう思えるのですが、当時のぼくにはわからなかった。

そして、勝とう、と思っていたぼくが、そもそも間違っていた。
勝っちゃ、いけないんです。でも、負けてもいけない。
一緒に仕事をしていく仲間なんですから。
仲間でなくても、人間関係に、勝ち負けとか、変ですもんね。


結果的に、7年続いていた契約関係は破局し、
営業的には、大変に優良な取引先を失う結果になったんですけど、
そこで、ぼくは、本音と建て前の使い分けを学んだような気がします。


人間は、見下した相手や格下の相手から、
本音を言われると、かなり、ひるむんじゃないでしょうか。

大手の看板だけ背負って、管理職をやっている人にとって、
外注たちの指摘や本音等、うるさいだけです。
どんなに正しい事でも、彼らは、受け入れません。
外注たちが、束になってかかっても、ダメです。

もちろん、そうじゃない方もいらっしゃいました。
組織の上層の立場にいながら、どんな事でも耳を傾ける、
本音を受け止め、彼の中で消化し、答えを出してくれる人。
(だから、関係が7年も続いたわけですが。)


以上のような経緯で、今のぼくは、
「本音」を交わす相手や、タイミングを選ぶようになりました。

ずるいようですけど、
本当に心を通わせたい相手でないと、「本音」に「不要な感情」が混じってしまい、
なんだか、うまくいかない。
(損得勘定で言っているのではないですよ。)

それに、自分を見下す相手とは、かかわらなくていいと思います。
(これ、Nomuraさんの意見そのままですけど、大賛成です。)

人を見下す人たちは、自分の事しか考えられない人たちなので、
極端ですが、何を言っても、無駄です。

そんな人たちに、「本音」等、教えてあげる必要はないです。
自分で、何かに気が付くまで、ほっとけばいいんです。

どうしても、会話が必要な時は、きらびやかな「建て前」を言ってあげて、
心の中で、「ぺろっ」と舌を出すぐらいでいいんです。


それから、いざ、意を決して、本音をぶつけた後ですが、
それが相手の核心をつけばつくほど、相手は、ダメージをうけます。
心に傷を負う場合もあるかもしれない。

そのフォローまでを引き受ける、献身的な心も必要な気がします。
言葉を出した分だけ、自分も責任を負う覚悟をするわけです。
そして、その覚悟した分だけ、優しさになって、相手に伝わる・・・(と思いたい。)

(この辺は、昨日のコメントの重複になってしまいますが。)


ただ、そんな事を毎日毎日、出来るわけでもありません。
聖職者でもない限り、かなりの、エネルギーを使うわけですから。

だから、「本音」に「建て前」をブレンドしながら、相手に伝える。
言葉を選び、相手が、一番受け取りやすい球を投げてあげる。
相手が受け取れ切れなかった時、一緒に球を拾いに行く。

そんなキャッチボールのようなやりとりが出来れば、
どんな相手でも、少しずつですが、伝わっていくような気がします。
なかなか、実践は難しいのだ、と思っていますが。

相手とうまくいかないな、と思った時は、
思い切って、何も言わずに、距離をおいて、見守る事も有効だと思います。
何も言わないのは、卑怯ではなく、優しさになる時もありますよね。

全て、自分の心の中で考えて行うことなので、
相手にとっての最良な手段を選ぶことは、出来ないかもしれません。
でも、真剣になった分だけ、相手には伝わるんじゃないか、と思ってます。


木蓮さんの言ってる事は、ぼくの心の中にある事と同じですよ。
だから、とても共感出来る、とともに、
当たり前のことだったかもしれないけど、
ぼくの反省を書いてみました。

長くなってしまい、まとまりなく、済みませんでした ^^;

ワオ!と言っているユーザー

このコメントを削除してもよろしいですか?
ぼくは、過去に、「本音」は常に「建て前より優れている」、と
思い込んでいた時がありました。

大手のIT企業と仕事(下請けです。)していた頃の事です。
彼らの中には、絶対に本音を言わない人がいます。
多分、死んでも、言わないのではないでしょうか ^^;

だから、がんがん本音をぶつけました。
そう、叩きのめすように。
そうしないと、ぼくのような弱小企業は、
巨大な相手に勝てないと思ったからです。

でも、本音を言わない彼らには、
それなりの事情があるわけで、
いくら、正論をぶつけても、とりあってくれない。

相手の立場も考えず、立て続けに剛速球を投げても、
誰も受け取ってくれない・・・。
今なら、そう思えるのですが、当時のぼくにはわからなかった。

そして、勝とう、と思っていたぼくが、そもそも間違っていた。
勝っちゃ、いけないんです。でも、負けてもいけない。
一緒に仕事をしていく仲間なんですから。
仲間でなくても、人間関係に、勝ち負けとか、変ですもんね。


結果的に、7年続いていた契約関係は破局し、
営業的には、大変に優良な取引先を失う結果になったんですけど、
そこで、ぼくは、本音と建て前の使い分けを学んだような気がします。


人間は、見下した相手や格下の相手から、
本音を言われると、かなり、ひるむんじゃないでしょうか。

大手の看板だけ背負って、管理職をやっている人にとって、
外注たちの指摘や本音等、うるさいだけです。
どんなに正しい事でも、彼らは、受け入れません。
外注たちが、束になってかかっても、ダメです。

もちろん、そうじゃない方もいらっしゃいました。
組織の上層の立場にいながら、どんな事でも耳を傾ける、
本音を受け止め、彼の中で消化し、答えを出してくれる人。
(だから、関係が7年も続いたわけですが。)


以上のような経緯で、今のぼくは、
「本音」を交わす相手や、タイミングを選ぶようになりました。

ずるいようですけど、
本当に心を通わせたい相手でないと、「本音」に「不要な感情」が混じってしまい、
なんだか、うまくいかない。
(損得勘定で言っているのではないですよ。)

それに、自分を見下す相手とは、かかわらなくていいと思います。
(これ、Nomuraさんの意見そのままですけど、大賛成です。)

人を見下す人たちは、自分の事しか考えられない人たちなので、
極端ですが、何を言っても、無駄です。

そんな人たちに、「本音」等、教えてあげる必要はないです。
自分で、何かに気が付くまで、ほっとけばいいんです。

どうしても、会話が必要な時は、きらびやかな「建て前」を言ってあげて、
心の中で、「ぺろっ」と舌を出すぐらいでいいんです。


それから、いざ、意を決して、本音をぶつけた後ですが、
それが相手の核心をつけばつくほど、相手は、ダメージをうけます。
心に傷を負う場合もあるかもしれない。

そのフォローまでを引き受ける、献身的な心も必要な気がします。
言葉を出した分だけ、自分も責任を負う覚悟をするわけです。
そして、その覚悟した分だけ、優しさになって、相手に伝わる・・・(と思いたい。)

(この辺は、昨日のコメントの重複になってしまいますが。)


ただ、そんな事を毎日毎日、出来るわけでもありません。
聖職者でもない限り、かなりの、エネルギーを使うわけですから。

だから、「本音」に「建て前」をブレンドしながら、相手に伝える。
言葉を選び、相手が、一番受け取りやすい球を投げてあげる。
相手が受け取れ切れなかった時、一緒に球を拾いに行く。

そんなキャッチボールのようなやりとりが出来れば、
どんな相手でも、少しずつですが、伝わっていくような気がします。
なかなか、実践は難しいのだ、と思っていますが。

相手とうまくいかないな、と思った時は、
思い切って、何も言わずに、距離をおいて、見守る事も有効だと思います。
何も言わないのは、卑怯ではなく、優しさになる時もありますよね。

全て、自分の心の中で考えて行うことなので、
相手にとっての最良な手段を選ぶことは、出来ないかもしれません。
でも、真剣になった分だけ、相手には伝わるんじゃないか、と思ってます。


木蓮さんの言ってる事は、ぼくの心の中にある事と同じですよ。
だから、とても共感出来る、とともに、
当たり前のことだったかもしれないけど、
ぼくの反省を書いてみました。

長くなってしまい、まとまりなく、済みませんでした ^^;

木蓮
木蓮さんからコメント
投稿日 2006-04-14 07:34

私も本音を出すことが良いとずっと思っていましたね。

で、実際出していました。
それもネット上で・・・。

誰が読んでいるかを考えもせずに、ただ自分の本音を垂れ流していたようなものです。

でもそれがどれだけ他の人を傷つけていたかを知ったのは、その当事者たちからの意見でしたね。

この時は辛かったです。

みんなで話し合ったとき、私はボロボロ泣いていました。
自分の思いが判ってもらえなかったことと、仲間を傷つけてしまったこと、全部が覆いかぶさってきて本当に辛かった・・・。

今でもこの時のことは夢に見るんですよ。


今、また別の問題が起こり、今回の記事となりました。

ここでの対応を誤ると、私はいろいろな人間関係をつぶしてしまうと考えました。

なるべくそうならないようにしたいです。

素直な気持ちで物事を見て、大人の対応が出来るように努力しないといけませんね。


おかきさんはとても誠実な方だと思います。
そして見る目も正しい!

>自分で、何かに気が付くまで、ほっとけばいいんです。

何だか、的を得た気持ちになりました。

ありがとうございます。

ワオ!と言っているユーザー

ハッピー
悲しい
びっくり