解説を転記します。
この句が詠まれた背景には、虚子と河東碧梧桐との俳句観の対立がありました。
虚子は伝統的な俳句の形式を重視し、「客観写生」や「花鳥諷詠」を提唱しました。
一方、碧梧桐らは新しい俳句の形を模索していました。
虚子のこの句は、単に個人的な決意表明にとどまらず、
俳壇全体に対する姿勢を示したものとも言えます。
伝統を守りつつ新たな挑戦に立ち向かう虚子の姿勢が、
簡潔かつ力強く表現されています。
この句は、新しい出発や挑戦に直面した際に、
多くの人々に勇気と決意を与える作品として
今日まで広く親しまれています。