2002年10月3日、社民党の保坂展人総合企画室長は 記者会見で、当面は論文の掲載を続ける意向を示しました。 しかし、批判が高まり、翌日の10月4日に社民党は公式ホームページから論文を削除しました。 この対応の遅さに対し、党内外から批判が集中し、 10月7日には田嶋陽子議員が離党を表明する事態に発展。 その後、福島瑞穂幹事長は論文を「個人の見解」と釈明し、土井たか子党首は被害者家族に謝罪の意を表明しています。