事件の背景 ■Wikipediaより引用
朝鮮戦争が膠着状態となり、1951年7月から休戦会談が開始されると、韓国大統領・李承晩は1952年1月18日に李承晩ラインを宣言し、竹島を不法占拠するとともに対馬は韓国領であると主張して日本に「返還」を要求、さらに日本の漁民数千人を不当に抑留し、果ては第一大邦丸事件のように無抵抗の日本人を虐殺する事件までも引き起こした。
後述の事件当時も日本人は韓国に抑留されている状態であった。
韓国では休戦後も国土が荒廃したままで、経済活動は衰退し、世界最貧国となっていた。
また、韓国政府は朝鮮戦争中には共産主義者との関係を疑われた数十万人とも百数十万人とも言われる数の韓国民を裁判なしで虐殺していた(保導連盟事件、居昌事件など)。