ディキシーランド・ジャズの「カンカン帽」を探しています。やっと見つけて買いましたが、女性向でしょうか、少し小さかったので・・・・
4月
29日

白人たちも黒人のジャズをまねてトランペット・トロンボーン・クラリネットの3管編成を中心とするニューオリンズ・スタイルのジャズを始めました。
これがディキシーランド・ジャズと呼ばれています。
一旦は流行らなくなったディキシーランド・ジャズは1939年の終わりから1940年に復活します。
ビッグ・バンドより小編成の金のかからないバンドがもてはやされるようになったからです。

ニューオリンズでの早創期の黒人たちのジャズを総称してニューオリンズ・ジャズと呼びますが、ブラス・バンドの即興演奏的な力強い音楽で黒人の好むものと、クレオールの上品な室内楽的な白人向けのものとがありました。
ニューオリンズ・ジャズがジャズの始まりとなります。


ニューオリンズからシカゴへ
女郎屋の立ち並ぶストーリーヴィルが1917年に公娼制度廃止とともにさびれました。
行き場を失った多くのミュージシャンがミシシッピを北上してシカゴに移って行きました。かくしてジャズはシカゴでますます栄えます。
1920年代はアル・カポネの闊歩した時代、ギャングはジャズマンたちに自分の息のかかったもぐりの酒場で演奏させました。
ジャズははじめ女郎屋のオカミたちに寵愛され、次はギャングどもの庇護をうけたのです。卑しい生い立ちだったのですね。
しかし、だんだんと善良な人たちに浸透していくのです。